秋田県 金沢城 |
■金沢城・金沢柵=見学自由 ■金沢公園、金沢八幡宮 駐車場=無料駐車場 (2010.9.25現在) ←二の丸と北の丸との間の空堀 |
住所=横手市金沢中野 この時は、国道13号を北上、 金沢公園の看板に従って右折。 坂を少し上がって右側に、 金沢公園、金沢八幡宮の入口があるので中へ。 入ってすぐ駐車場と説明板があるが、 金沢城へはその先を進み、坂をぐんぐん上がると、 駐車場。ちなみに、途中に塹壕跡(堀切)が見られる。 |
金沢城・金沢柵 | ||
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奥羽2州の支配者・清原一族の内紛は、
源義家の介入により、後三年の役に発展した。
沼の柵で勝利を得た清原家衡は、難攻不落といわれた
ここ金沢の柵に居城を移して戦ったが、義家・
清衡軍の水攻め、兵糧攻めにより1087年11月14日に
ついに落城。勝利した清原清衡、後に藤原を名乗り、
奥州藤原3代平泉文化の礎となった。 金沢城跡は、横手市教育委員会によって、これまで 5次にわたる調査が行われ、遺構は掘立柱建物跡 5棟、遺物は青磁・白磁などの陶磁器類や、 火災が原因と見られる炭化材・炭化米が数多く出土している。 また、後三年の役の合戦当時の遺構、遺物ではなく、 中世城館として利用されている事が判明している。 (案内板より) |
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金沢公園入口&標柱 | 御野立所跡 | 景色 |
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(左)左が標柱。入口を入ってすぐ、案内板がある。
金沢城へは、まだ先へ進む。
(真ん中)昭和天皇が皇太子時代、横手平野の稔りの秋を御覧になられた所。 (右)うちも車から。 |
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塹壕跡 | 土塁 | 駐車場 |
(左)堀切だと思うけど、草でよく分からず…。 (真ん中)写真中央が、塹壕跡の説明板。 (右)とても広い駐車場! | ||
来た道方面を | 二の丸・本丸方面へ | 納豆発祥の地碑 |
(左)駐車場から西側を。左が西の丸側、右が二の丸側。 (真ん中)上がってすぐ分岐。 (右)井戸かと思った(^^;) | ||
二の丸と本丸方面の分岐 | 西側から二の丸へ | 石段を上がり… |
(左)駐車場から上がってすぐ分岐。 正面が二の丸方面、右が本丸方面へ。 (真ん中)正面に兜杉。 (右)光が!! | ||
兜杉 | ||
この杉は兜杉と呼ばれ、根周り7.45m、
目通り5.50m、枝下高7m、樹高約26m もあり、樹齢およそ900年とも伝えられている。 兜杉は、八幡太郎義家が凱旋 の時、愛用の兜を埋めて石をその上に置き、 そばに記念の為藤原清衡が、 植えた杉ともいわれている。 昭和58年1月失火により焼失するまで、市の天然 記念物に指定されていた。(案内板より) |
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二の丸 | ||
(左)金沢八幡宮が立つ。写真は社務所。 (真ん中)土塁と標柱を。 (右)北の丸へ続く道側から二の丸を。 | ||
二の丸から北の丸へ | ||
(左)正面の小高い所が北の丸。 (真ん中)二の丸と北の丸の間。竪堀っぽい。 (右)二の丸と北の丸の間の空堀。 | ||
北の丸 | ||
(左)北の丸には土俵がある。 こちらは南側の入口で、標柱も立つ。 (真ん中)土塁も見られた。 (右)南東側の入口。 | ||
北の丸から兵糧倉跡へ | 兵糧倉跡 | |
(左)北の丸から兵糧倉跡方面を。右側の高い土塁は二の丸。 (真ん中)兵糧倉跡へ。 (右)兵糧倉跡は、米倉の跡。 | ||
兵糧倉跡から本丸へ | ||
(左)本丸北西の土塁を見つつ、本丸北側へ。 (真ん中)本丸北側入口。 (右)本丸南側入口。こちらに標柱がある。 | ||
本丸 | ||
(左)本丸には、いろいろな石柱が立つ。 (真ん中)本丸北東の金洗清水へ向かう道。 (右)伊藤畊餘(直純)翁胸像。 | ||
西の丸へ | 堀切 | 西の丸 |
(左)駐車場の南側から西の丸へ。 (真ん中)細長く、草だらけでずっと同じ景色の中を進むと、堀切が見られた♪ | ||
西の丸・武者溜跡 | ||
(左)西の丸の最南端。 (真ん中)見下ろして…。 (右)木々で眺望は良くない。 でも、隙間からズームで。幻想的♪ | ||
■金沢城・金沢柵
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