秋田県 脇本城 |
■脇本城(別名=太平城、生鼻城)=見学自由 駐車場=無料駐車場 (2010.9.23現在) |
住所=男鹿市脇本 この時は、国道59号を東へ進み、生鼻崎第2トンネルを抜けて、 最初の信号を左折。 |
脇本城 | ||
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天正5年(1577)下国安東愛季(ちかすえ)が、
大規模に修築し居城とした城である。
愛季はもと檜山城主であり、元亀元年(1570)
秋田湊城を統合して、小鹿島をも直轄地とし、
「ひのもと(蝦夷)将軍」として蝦夷管轄をも担い、
織田信長との交渉のさなか、脇本城を居城とした。
盛時の縄張は、茶臼館や岩倉館まで含む。
もともと14世紀頃から城館が営まれていたと
みられ、愛季の後の城主は、脇本五郎脩季(ながすえ)の
伝承を伴っている。
天正17年湊合戦で戦場となり、豊臣大名秋田実季(さねすえ)
の代には、本格的修築は許されなかった。
近世には太平城跡、生鼻城跡の通称でも伝えられたが、
文化7年(1810)大地震の際、生鼻岬700m余りが海中に没し、
現在は本丸とみられる地域に、曲輪、土塁、空堀、井戸跡等が残り、
黄瀬戸、青磁、珠洲陶等が出土する。
(案内板より)
脇本城は、男鹿半島の南側の脇本地区に位置する、 日本海に突き出すようにそびえる標高約100mの丘陵地 を利用して築かれた中世城館である。 平成16年9月30日、国の史跡として指定され、その面積は 約128ha。城跡に登り周囲を見渡すと、南には 鳥海山、西には真山・本山、北には寒風山、東には 脇本本郷集落や遠くに森吉山を望むことができる。 (男鹿市教育委員会の案内板より・絵図も) (右)鳥居から登ると、内館まで徒歩15分らしい。 |
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