【八戸城】

青森県 八戸城 あおもりけん はちのへじょう
■八戸城=見学自由
■市役所、三八城公園付近など。
駐車場=有料(八戸市役所利用) (2005.8.2現在)
←市役所にある石碑。
住所=八戸市内丸
(広域的には、八戸自動車道の八戸I.Cを降り、右折して県道29号を 走り、国道340号を左折。県道23号へ左折。) この時は、北からの国道338号から国道45号を走り、 国道104号へ右折。結構走り、売市交差点を左折。 少しして国道340号へ左折。三日町交差点を県道23号へ左折。 少しすると左に市役所があり、そこの駐車場へ入れて、 隣にある三八城公園、南部会館(市役所の斜め向かい側)等に歩いて行く。

三八城公園にある本丸跡 三八城公園 展望台からの景色
どれが遺構なのかわからず、本丸跡の石碑を写す(^^;)南部直房公 像もあるらしいけど、時間が無くて見なかった。
カップルがいろんな物を持ち込んで、くつろいでいた展望台。 なんだか、行きにくいじゃん(^^;)動いてくれたけど。
三八城山と弁慶石
この地は、源九郎判官義経が平泉を脱出し、北へ向かったという語り伝えがあり、 八戸市内にも義経の北行にまつわる伝説を裏付ける多くの地名や品々が残っている。 義経が、高館の御所から見渡して、馬渕川の東の野原を京ヶ原と名付け、また京ヶ原 の北の州先を京ヶ崎と命名したのが、今の三八城山である。足下のこの大きな石は、 弁慶石と呼ばれ、昔は境内南側のコブシの木の辺りに置かれていたと言う。 石の所々が、人間の大きな足型のように窪んでいるのが、力自慢の弁慶が岩に しるした足型だといわれている。(社団法人 八戸観光協会の案内板より)
←三八城神社にある。物凄く大きくて、確かに足型が!! 力自慢という事は、持ち上げる事が出来たのかな〜(^^;)
八戸城角御殿(すみごてん)表門(表&裏)
ここは、寛政年間には角御殿と呼ばれていた。寛政4年(1792) 御者頭煙山治部右衛門がここに居住し、八戸城にふさわしい門と 玄関を建てるよう命ぜられた。門はその5年後に建てられ、 その時の棟札が残されているが、資金繰りの苦心談が八戸藩 日記にうかがわれる。 昭和53年、風雪のため倒壊した時、毘沙門天像が門の冠木の 精巧な像で、棟札にも「奉修毘沙門天秘法」とあることから 創建時のものであることが知られる。この寛政9年の棟札 中央から発見された。像高3.6cmの小さなものであるが、 の他に、嘉永4年(1851)、明治42年(1909)修理の棟札もある。 昭和55年、創建当初の形に復元した。門の構造は棟門(むなもん)といわれ、 通常は二本の柱の上部を冠木でつなぎ、切妻屋根をのせるものであるが、 この門の場合は、四本の柱を一列に並べて冠木でつなぐ大規模なもので、 平衡を保つ為裏側に二本の支柱を取付けるという特異な構造となっている。 (八戸市教育委員会の案内板より)
  バスや車、果てはタクシーが停車したりと、なかなか写せなくて困った(^^;)
南部会館 八戸城角御殿表門付近の道路 八戸三社大祭の山車 (クリック
この日の南部会館は、無料休憩所として開放してた。 それにしても、青森って普通に暑いわ、
祭で人が多いわで、 熱気が凄い!山車も凄い!個人的に、 こっちの方が嬉しかったりして(笑)

■八戸城
ん〜。八戸って一方通行が多かった(^^;)この日は八戸三社大祭があるらしく、 観光客も多いみたいで、渋滞、渋滞。市役所や三八城公園付近は、賑やか〜! 八戸城の遺構は、イマイチ分からないまま散策。説明板も見つけられず、 (あるのかな?)でも、角御殿表門が見れたのは良かった。 勿論、八戸三社大祭の山車も見られたのは、物凄く嬉しかった!凄かったなぁ〜。

【 青森のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る