トロとまったり・tripのページ(道後温泉駅)

愛媛県 道後温泉駅

えひめけん どうごおんせんえき

■道後温泉駅
■放生園、鷺石、坊っちゃんカラクリ時計
駐車場=無し(近隣有料駐車場)

2009/5/2現在

住所=松山市道後町(他、松山市道後湯之町)
この時は、湯築城跡の道後公園を見学した後なので、道後公園横のコインパーキングにとめて徒歩で向かった。

道後温泉駅

この「道後温泉駅」の前身は、明治28年に開通した鉄道線の主要駅「道後停車場」で、日本書紀にも登場するわが国最古の歴史を誇る名湯「道後温泉」の玄関口に位置する。 その後、明治44年に鉄道の電化に際して建て替えられたが、老朽化のため伊予鉄道100周年事業の1つとして、昭和61年に新築復元された。 明治の面影を残し、文明開化の香りを彷彿とさせる洋館の佇まいは、 夏目漱石ゆかりの「坊っちゃん列車」とともに松山市民や観光客に親しまれ、情緒あふれる道後の観光名所となっている。(案内板より)

【左】とっても雰囲気のある駅舎♪ 【真ん中】時間待ちの路面電車。 【右】横から。

坊っちゃん列車

とっても可愛い坊っちゃん列車♪発車〜(^^)

伊予鉄道は明治20年9月14日に創立、翌年10月28日に日本発の軽便鉄道として松山-三津間の運行を開始した。 当時の伊予鉄道1号機関車は、「四輪連結水槽付機関車」でドイツのクラウス社から輸入され、 その後明治、大正、昭和と実に67年間にわたって松山平野を走り続け、 わが国初の軽便鉄道機関車として、昭和43年3月8日、愛媛県指定有形文化財に指定された。 夏目漱石が松山へ教師として赴任したのは明治28年、道後温泉をこよなく愛し、 汽車に乗っては頻繁に足を運んだ模様で、明治39年発表の小説「坊っちゃん」には、当時の道後温泉や軽便鉄道がユニークに描写されており、 その後伊予鉄道の汽車は「坊っちゃん列車」の愛称で地元松山市民をはじめ多くの人々に親しまれてきた。(碑より)

放生園

建武年間(1334〜1336)に伊佐爾神社が現在のところに移された時、境内の御手洗川の引水をたたえて池がつくられた。 この池は「放生池」といい、聖浄の地とされたが、現在は埋められてこの公園となっている。 一羽の傷ついた白鷺が湧き出る湯で傷を癒したのが、道後温泉の始まりだという伝説に基づく、 足跡の残った「鷺石」や明治24年から昭和29年に使用された「湯釜」などがある。(松山市 道後村めぐり 第12巻の案内板より)

鷺石

【左】色の濃い石が鷺石。【右】鷺石の横にあるのが森盲天外の句碑。

■白鷺伝説…道後温泉は白鷺が発見したと伝えられている。 昔、足を痛めた一羽の白鷺が谷あいの岩間から湧き出ている温泉を見つけ、毎日その温泉に足を浸しているうちに、傷が癒えて勇ましく飛び去ったといわれている。 その時、白鷺が休んでいたといわれるのがこの石で、鷺石と呼ばれている。 岩の一面に白鷺の足形が残っているように見える不思議な石である。 この伝説によって白鷺が道後温泉の象徴となった。(松山市の案内板より)

坊っちゃんカラクリ時計

あと15分待てば、カラクリが見れたんだけど、待てなかった(^^;)

道後温泉本館建設100周年記念事業の一環として「振鷺閣」を題材に勢作された。 午前8時から午後10時の間、特別期間(30分)を除き、1時間ごとに演出されている。 (松山市の案内板より)

道後温泉駅付近
道後ハイカラ通り
伊予弁

【左】道後温泉駅から放生園方面。ローソンが茶色だ(@@)
【右】JAの建物にあった伊予弁(^^)面白いな〜。

道後温泉駅 2009.5.2記

レトロな道後温泉駅に、丁度いいタイミングで、可愛い坊っちゃん列車が見ることが出来てよかった〜(^^) 走っている姿も見れたし♪見たかったものが集中しているから、一気に見れて、よかった(^^)

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