【丸岡城】

福井県 丸岡城  ふくいけん  まるおかじょう
■丸岡城(別名=霞ヶ城)
入城料金=大人300円(歴史民俗資料館と共通)
入城時間=午前8時30分〜午後5時
駐車場=無料           (2006.5.2現在)
※丸岡城のページでは、 2004.5.2(晴れ)と2006.5.2(曇り)の写真を使用しています。
住所=坂井市丸岡町霞町1-59
この時は、越前大野城から行ったので、国道157号〜 国道416号へ丸岡方面へ、県道17号(勝山丸岡線)を進み、 北陸自動車道の下をくぐり、丸岡インター入口を過ぎて、 丸岡高校の案内板を過ぎて、その辺りから約0.5km先の 信号を左折。少しして、左に駐車場。

丸岡城
天正3年(1575)織田信長が北陸地方の一向一揆の平定を期して、 豊原寺(現在地の東方約4km)を攻略。信長は柴田勝家の甥、 伊賀守勝豊を豊原へ派遣し城を築かせた。 天正4年(1576)勝豊は豊原城を丸岡に移した。これが、現在の丸岡城となる。 天正10年(1582)勝豊は長浜城主となり、 安井家清、青山修理亮、青山忠元、今村盛次 を経て慶長18年(1613)本多重次の子成重が城主となり、以後4代の居城となった。 現在記録に残る城郭はこの頃完成。最大91mにも及ぶ内堀を巡らせ、 外郭に侍屋敷を配し、河川を利用した外堀を有し、寺院民家を包容し城下町を形成した。 元禄8年5月有馬清純の入封以来、8代に亘って 有馬家が領有する。 明治維新にを迎え一時民有となったが、 明治34年(1901)に町公会堂となる。 昭和9年国宝に指定。 昭和23年福井大震災により倒壊。 昭和25年重要文化財の指定を受け、 昭和30年に修復再建された。 本城は二重三層、外観は上層望楼を形成し、通し柱をもたず、初重は 上重を支える支台をなす。構架法、外容ともに古調を伝え、屋根は石瓦 (笏谷石)で葺き、基礎の石垣は野面積み、これは我国城郭建築史上、 現存の天守閣の中で、最古の様式のものである。 (丸岡城天守閣の碑より)(右)丸岡城の復元図は、案内板より。
井戸
天正3年(1575)織田信長が越前の一向一揆を平定後、 柴田勝家の甥、伊賀守勝豊が豊原からここに移り築城した。 豊原は一向一揆の最後の根拠地であった為、この地に築城後も、 一揆の残党が攻撃を仕掛けてくることも、しばしばであった。 しかし、その度ごとに、この井戸の中より大蛇が現れ、 城に「かすみ」をかけて城の危機を救った。この伝説が別名 「霞ヶ城」と呼ばれる所以である。
現在も春先等に、すっぽりと「かすみ」に 覆われた霞ヶ城を見る事が出来る。(案内板より)
鯱(石製しゃち)&石瓦
この鯱は、もと木彫銅板張りであったものを、昭和15年〜17年の 修理の際に、石製の鯱に改めたものである。その当時は戦禍中で、 銅板の入手が困難であったため、やむなく天守閣の石瓦と同質の 石材で、造りかえられたものだが、この石製の鯱も昭和23年6月の 福井大震災により、棟より落下、現在のような形で残っている。 現在天守閣の上にのっている鯱は、昭和27年〜30年の修復時に、 もとの木彫銅板張りに復元したものである。(案内板より)
(左)天守閣の石段横に、石の鯱が置いてある。
(左上)横からは牙が見えて、「ニシシ…」と笑っている様に見える。
(上真ん中)でも、前から見るとキョトンとした顔(笑) (右上)屋根の石瓦。
天守
前回は、虫で悩まされたけど、 今回は気温が低く、おまけに風があって寒いくらいだったから、 虫が寄ってくることは無かった(笑)

(左下&右下=2004.5.2撮影)夕景は天守付近から。 ここから見える夕焼けが、とてもきれいだった。 でも、この時期は虫が多すぎ〜(笑)
天守の内部
(左)1階。(真ん中)木の階段をぶら下がった縄を持って上って、 (右)2階へ到着(^^)左端に写る階段で3階へ。
(左)超狭いスペース!!縄を握りつつ、3階へ。 (真ん中)おまけにこんなに急! (右)そしてこれが3階(^^)
天守からの景色
(パノラマっぽく加工)北側。 2年前の景色の写真と今回を照らしあわせてみると、 全然変わってなかった。
(パノラマっぽく加工)東側。 素敵な景色が変わらないのって、いいなぁ(^^)
(パノラマっぽく加工)南側。前回は天気が良すぎて、 遠くの山並みが全く見えなかったんだっけ…(^^;)
(パノラマっぽく加工)西側。けど、 でも、今回はバッチリ。皮肉にも、曇っている方がよく見えた(^^;)
友影 賢世翁像 本丸の宝蔵跡(かな?) 本丸(料金所)
 友影賢世は、昭和23年6月の福井地震により 壊滅状態の丸岡町と丸岡城の復元再 興の為の最高責任者だそう。
鬼瓦 屋根の装飾 溝の蓋
凄く険しい顔つきの鬼瓦。カーッ! 室内からだから、とても大きい(^^) 一筆啓上…&丸岡城が描かれた蓋。
霞ヶ城公園 歴史民俗資料館 駐車場
真ん中の写真は2004.5.2撮影のもので、 天気が良かった。今回、もう少し良ければ違った印象 だっただろうに(^^;)
もう一方の登り口 霞ヶ城石碑 公園
こちら側には、立派な石碑が建っていた(^^)しかも、 ここからの丸岡城が(左下の写真)なかなか素敵なのだ♪

■丸岡城…2006.5.2記
今回は、3時半に到着。風も冷たく、寒い見学になってしまった。 前回同様、何も変わっていなくて、安心感を覚える(^^) 強いて言えば、一筆啓上茶屋の中が変わっていたってことかな。 いろいろお城めぐりをしているけど、久しぶりに階段の狭さと急さを味わったな〜(笑)

■丸岡城…2004.5.2記
外観も内部もかなりの古さ。遠く国道からも見える姿も古い(笑) 朝早く行ったので、駐車場はガラガラ。帰る頃には観光バスが、 着いたりして、駐車場が満車状態に!びっくり。日本最古の物だからかな。 室内の階段はかなり急で、ロープがぶらんと下がっている。 それを握り握り上ると、また端っこに階段が。これまた急な階段。 ここはロープを持たないと本当に怖かった(汗) でも、お城を見ていると、なんだか安心させられる優しい雰囲気だったな。
(写真=昔の概要的に大手門ってこの辺り…?なんて思いを馳せつつ、 確信は無いまま写したもの。)

【 福井のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る