福井県 小浜城 |
■小浜城(別名=雲浜(うんぴん)城)=見学自由 ■小浜神社 駐車場=無料駐車場(参拝者用) (2006.9.15現在) |
住所=小浜市城内1丁目 この時は、北陸自動車道 敦賀I.Cを国道27号の舞鶴へ下りる。 そのまま舞鶴・小浜方面の国道27号を進む。橋を渡り切って、 国道162号を小浜市街へ右折。 陸橋をくぐって左にググンとなって、ずっと進んで、 駅前の信号を国道162号へ右折。 市役所を過ぎて、橋を渡って雲浜保育所前信号を左折。 突き当りが小浜神社で、右折後すぐ左に参拝者用の駐車場。 |
天守閣入り口 | 大天守跡&小天守跡 |
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小浜神社の左奥へ歩いて行くと、天守閣跡(^^) | 大天守跡には足場が!その手前が小天守跡。 |
小天守跡 | 小天守跡上から西櫓方面 | 西の丸への虎口 |
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小天守跡と西櫓跡の間の虎口から 西の丸を見ると、すぐ民家(^^;)しかも犬がウルサイ。 泥棒じゃないっての。 | ||
小天守跡&西櫓跡(西の丸への虎口) | 西の丸への虎口から天守跡の石垣&堀跡 |
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虎口を通って大天守と小天守の石垣。堀跡もいい感じ♪…と ワンワン吠えられながらの撮影!だから、ウルサイゾッ! | |
西櫓跡 | 乾櫓跡 |
↑木が邪魔だから右から。空の色がいい感じ(^^) | 木漏れ日が当たって、幻想的な色合いに。素敵! |
乾櫓跡の上 | 乾櫓跡から西の丸を見る | 本丸南東の石垣 |
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二の丸側からの本丸石垣 | 二の丸 | 二の丸から大手橋(現在の) |
宅地化が進み過ぎてて、石垣の周りは駐車場や家がいっぱい。 | 昔の大手橋はもっともっと遠く。 | |
二の丸御殿跡 | 二の丸側から見た大天守 | 突き当りが三の丸跡 |
大天守を写そうにも、 民家がギリギリまであるから、近寄れない(^^;) | 本丸と三の丸の間の堀。 | |
本丸北側の石垣&そこから見た北の丸 | |
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河川拡張がされている為、城地が削られているから、 よく分からないなぁ(^^;) | |
藩校・順造館の門(小野鶴山・西依墨山)(=若狭高等学校) | ||
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平成10年、小浜市指定文化財となった旧順造館(じゅんぞうかん)正門は、 もと一番町において天保5年(1834)に小浜藩藩校の正門として建築され、 昭和55年(1980)に若狭高等学校に移築された。 第7代小浜藩主酒井忠用は儒学に親しみ、寛保3年(1743)に京都望楠軒(ぼうなんけん)の 講主若林強斎の門人の小野鶴山(かくざん)を招いて藩士の教育にあたらせた。 鶴山が70歳で死去した後、小浜藩は、明和7年(1770)に望楠軒の講主西依成斎の養子 墨山(ぼくざん)を藩の儒者として召し抱えた。西依墨山を教授として、安永3年(1774)に 藩校順造館が開校した。墨山は、山崎闇斎が提唱した朱子学(実践道徳の教え)の 1つ崎門学(きもんがく)を教え、寛政12年(1800)75歳で死去した。 (案内板より) |
■小浜城
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