ふくおかけん えのうらじょう
■江浦城
駐車場=無し
(写真)江の浦本丸信号の所の江浦城本丸址の碑と江浦城の沿革の碑。
2015/12/28現在
住所=みやま市高田町江浦町
この時は、柳川市からみやま市方面へ国道208号を進み、矢部川を渡って、国道208号と県道94号との分岐へ。
その江の浦本丸信号の所に、江浦城本丸址の碑とその横に江浦城の沿革の碑が立つ。
江浦城は代々永江氏の居城である。 天正12年永江勘解由及び田尻の家臣田尻了哲の両士は田尻氏の本城たる鷹尾城の支城として之を守った。 天正15年(1587)高橋宗増は三池郡を賜はり、江浦城を以て居城としたので永江氏は高城に退いて、宗増の輩下となった其の後故あって柳川藩の臣となる。 田中氏領有の頃は家臣田中河内守が当城を守った江の浦は文字の示す通り佳の浦である風光明媚な海崖である。 古老の言に依れば渡里の浜は老松数珠なぎさに聳え江浦町の南方に入江あり向野開には葭生茂り。 青松枝を交へたる海岸伝いに中村の人家がみえた。真帆庁帆は徳島と中村の岬より。小波の上をすべるが如く透門の船着場に来る。昭和35年8月 (沿革の碑より)
【左】柳川市側から矢部川に架かる橋を。
【真ん中】橋の袂の「みやま市」の看板。
【右】国道208号を南東へ、西鉄天神大牟田線。
【左&真ん中】国道208号と県道94号との分岐の江の浦本丸信号。
【右】江の浦本丸信号の所に、大きな江浦城本丸址の碑とその横に江浦城の沿革の碑が立つ。
【左】県道94号から国道208号を。
【真ん中】江の浦本丸信号付近から西側を。木で囲まれているのは淀姫神社。
【右】遠くに有明海沿岸道路の矢部川大橋が見える。(※この写真は、淀姫神社の参道入口を過ぎて。)
【左】(パノラマっぽく加工)北側で、建物沿いに水堀がある。写真右側の木の右に続くであろう堀は消滅したんだそう。
【左下】左上の写真の右側。木から中央の建物付近までの水堀が消滅。
建物から右方面には水堀があって、道路に本丸橋がある。
【右下】本丸橋から見た東〜北東の水堀。ここまでが城跡だったよう。
【左&真ん中】県道94号で、東側部分。案内板付近に本丸橋があり、水堀が見られる。
【右】南東方面。左の写真の右側。
江の浦本丸信号の南側の江の浦信号から西へ進んだ所の神社。
【左】淀姫神社の参道の石灯篭。上部に載っているのが不思議!
【真ん中】駐車場が無いので、車中から。
【右】(切り取り加工)ズームで写して加工。
江浦城 2015.12.28記
江の浦本丸信号の所の碑は凄く大きくて存在感があるけど、国道を走っていると意外と見えなかったりする(^^;) 県道94号から眺める北〜東側の水路に名残を感じ、何も無い田んぼ越しの城跡を見ることができて嬉しかった(^^) 淀姫神社も気になったので、車で向かったものの駐車場が無くて、車中から参道を写すのみ…。 ちなみに見学時間は、淀姫神社の参道入口付近まで車で行ったのも含めて約10分。