ふくおかけん まつかぜのせき
■松風の関
駐車場=無し
(写真)国道443号沿いの説明板。
2015/12/28現在
住所=みやま市山川町北関
この時は、国道443号を南下、九州自動車道の高架をくぐって左側の四里石を過ぎ、
南下して北の関信号を過ぎ、もう少し走った右側に説明板が立つ。
古代からの筑後の国と肥後の国を結ぶ唯一の街道が通り、その中で背戸坂と呼ばれた、最も峻険であり要害の地であった。 平家物語に「寿永二年・・・・菊池次郎高直は都より平家のお供に候けるが、大津山の関開けてまいらせんとて、肥後の国にひっこもり、・・・・。」 とあり、ここに出ている大津山の関が、現在の松風の関を指すといわれている。 寿永2年(1183)。当時既に関所として菊池氏によって守られていたこと。 7世紀に作られた古代官道に関所を置いたものであろうという事等が解ってきている。 真弓廣有公が松風の関に布陣したのは正平14年(1359)頃ではないかと思われ、当時の峻険な地形がよみがえる。 その後、戦国時代は合戦の度に、肥後領になったり筑後領になったりしたが、戦国時代の終わりに田中吉政が、 筑後国32.5万石の領主として柳川城に入ると慶長6年(1601)、ここ松風の関から北を筑後領としたので、それ以後、筑後領となり現在に至っている。 (山川町教育委員会・山川町郷土史研究会の説明板より)
【左】国道443号を四里石側から南下中、建物の壁に、みかん等のイラストと「ここは山川 みかんの里 おいしい」と描かれていた。
みかんの街灯も可愛いな♪(※四里石で紹介。)
【真ん中】左の写真から国道443号を南下、北の関信号。
【右】北の関信号から南下して、もう少し走ると右側に松風の関の説明板が立つ。
松風の関 2015.12.28記
説明板が立つ付近は駐車場やスペースが無いので、もう少し南下したスぺースにとめ、説明板へ向かった。 でも、歩道が狭くて大変だった(^^;)