トロとまったり・tripのページ(門司城)

福岡県 門司城

ふくおかけん もじじょう

■和布刈公園(めかりこうえん)=見学自由
■門司城(別名=門司関山城、亀城)=見学自由
駐車場=無料
■古城山(標高175.2m)山頂で、国民宿舎めかり山荘や、平和パゴダがある。

2005/8/15現在

住所=北九州市門司区大字門司
九州自動車道門司港I.Cから看板を頼りに走るか、九州自動車道門司ICから県道72号をめかり公園方面へ。 結構、色々な場所に、和布刈公園(めかり公園)、国民宿舎めかり山荘や、平和パゴダの看板が出ている。

門司城(石碑より)

門司城は、最初平知盛が源氏との合戦に備えて、長門国目代紀井通資に築城させた、と言い伝えられている。 寛元2年(1244)、下総前司親房が平家残党鎮圧の下知奉行として、鎌倉幕府より豊前国代官職に任ぜられて下向。 のち門司六ヶ郷と筑前国香椎院内などを拝領した。 親房の子孫は地名により門司氏を称し、門司城を本城に領内に足立・吉志・若王子・三角山・金山の五支城を構えて それぞれ一族が配置された。門司氏はその後およそ350年にわたって北九州の地に続いた。 その間、南北朝時代には門司氏も両派に分かれ、当城には北朝武家方の吉志系門司左近将監親尚が拠り、 一方南朝宮方の伊川系門司若狭守親頼は猿喰城に籠り、骨肉の争いもあった。 室町時代末になると、門司半島は豊後大友氏と大内氏、大内氏滅亡後はかわって、毛利氏が争奪するところとなり、 当城はその渦中におかれた。ことに大友・毛利両氏による永禄の門司城合戦は壮絶をきわめ、 ちなみに「後太平記」には、「昔、源平両家比処にて軍せしも、時こそ替れ是にはよも勝らし」とその戦況を記している。 その後の門司城は、城主も入れかわりながら続いたが、細川忠興の豊前入国後の元和元年(1615)、一国一城の令により、 およそ400年に及ぶその歴史を閉じた。(※なにぶん、読みにくい石碑だったので、誤字があるかもしれません。)

駐車場

【左】写真は入ってきた車。無造作に止まっているわけではない(^^;)
【真ん中】徒歩10分。ふむ。そんなもんかな。
【右】整備してあるので歩きやすい。

【左】レトロハイマートが、駐車場の木々の間からひょっこり見えた。
【真ん中&右】土星をイメージした世界初の揺れない双胴船「ヴォイジャー」。 海上から門司港レトロや下関の街並みが満喫できるらしい。50分のクルーズ。

門司城の説明碑&名残

夏、暑い中の山登り…と思っていたけど、木漏れ日の中、とても歩きやすくて良かった〜(^^) 石垣の名残が見られるけど、どちらかというと戦争の遺構の砲台や倉庫跡がしっかり残っていた。

門司城

【左】関門橋を走っている時、見上げると城祉碑が見えた(^^) ここに立つと自分も見えてるんだ…と思うと不思議な感じ。
【真ん中&右】下関方面。

遠景&近辺地図

【左】門司港レトロ展望室からの門司城(ポコッと高い山)。
【右】案内板をクリックすると拡大します。

門司城 2005.8.15記

城祉碑しか無いとはわかっていても、関門海峡から見上げた時の巨大な城祉碑を見ると、 その目で見たくなる程の大きさ(^^)脇見運転は危ないけど、余裕のある人は見てみるといいかも。 そこから見た関門海峡も、関門橋もきれいだった〜♪ 遺構は上記通りで、チラホラ見られる石垣の名残しかなくて、 他は戦争時の遺構。写らないようにしたので、そのようなものがある雰囲気は無いけれど、 これまた巨大な砲台跡が残っていた。 だけど、軽い山登り&城めぐりで、こんなきれいな景色が見れただけでも大満足。 ちなみに、ここからすぐ近くに、車で行ける(620m)第二展望台に、壇之浦合戦壁画がある。
(別ページで紹介)→ 和布刈公園

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