ふくおかけん のおがたしせきたんきねんかん
■直方市石炭記念館=100円(室外は無料)
開館時間=9時〜17時(入館は16時半まで)
休館日=毎週月曜(祝日の場合開館)、年末年始。
駐車場=無料駐車場
2015/1/2現在
住所=直方市直方
この時は、九州自動車道 八幡I.Cを下りて、右の直方方面(国道200号バイパス)へ。
国道200号バイパスを南下し、県道28号へ下りる。県道28号を西へ進み、西尾信号で国道200号へ。
日の出大橋を渡って、国道200号へ左折。直方郵便局前信号で、県道467号へ右折。
多賀公園方面の県道21号へ左折、少し進んで左斜めが多賀神社入口。
神社入口の右側の道を進んで、案内板に従って左折、突き当たり。
この建物は、日本石炭協会の前々身ともいうべき筑豊石炭鉱業組合の直方会議所として、 明治43年8月に建てられたもので、現在石炭にとって最も由緒ある建造物の1つである。 大正11年4月には筑豊石炭鉱業組合救護練習所が設けられ、この場所で本格的な救護訓練も始まり、 昭和13年には石炭抗爆発予防試験所もここから発足した。 現在の規模は敷地4,119u(1,246坪)本館287u(87坪)あとから加えられた別館149u(45坪) 倉庫54u(16坪)となっている。本館内には模型、絵画、写真、図表等主として人文的資料を、 別館には機械器具等を展示してあり、これらが立坑やぐら、蒸気機関車、 第一号炭貨車等とともに「石炭記念館」を構成している。 本館裏には、大正11年に建設されたガス爆発や落盤などの炭鉱災害に備えた救護隊の練習坑道(延長117m、傾斜20度)の他、 メタセコイヤ(石炭の元になった木)等がある。(直方市の案内板より・絵も)
珪化木は石炭層の中に含まれている木の化石である。日本の古第三紀層(3千万年〜6千万年前) に属する筑豊炭田でも一般に松岩と呼ばれる不燃性の岩石があるが之が珪化木である。 珪化木は石炭層の上・下層の砂岩や頁岩の中にあって強い地圧を受け、 珪素など浸入によって大木の根元が石化したものである。 この珪化木は宮田町大之浦炭鉱で掘られたものである。(案内板より)
線路側から見える機関車♪黒々つやつやで格好いい(^^)
「蒸気機関車のひとりごと」という案内板が、じんわり胸にきた(^^)
■C11-131号蒸気機関車…この機関車は昭和13年2月22日、日本車両株式会社で製作され、
同16年まで日豊、松浦、唐津の各線で旅客列車を引っ張っていた。
その後は同45年までの約30年間を当筑豊地区で石炭輸送等の為に活躍してきた。
この機関車が誕生以来33年間を走り続けた距離は約130万キロにも及び、
これは地球を約32周した計算になる。(日本国有鉄道 九州総局・日本石炭協会 九州支部の案内板より)
■セム1号車…この石炭車は明治37年に当時の九州鉄道行橋製作所で製作されたもので、 セム第1号という記念すべき石炭車である。製作格は950円75銭だったと記録されているが、 明治40年国鉄が九州鉄道を買収した時に、同時に国鉄に移管された。 制作時は9トン積みだったが、炭箱あたりは昔とは全然違ったものになっているようである。 しかし昭和37年廃車処分になるまでの58年間に運んだ石炭は、おおよそ15万トンにもなるものと推定され、 石炭の歴史を車体に刻み込んでいるともいえるようである。日本国有鉄道 九州総局(案内板より)
【左&真ん中】直方救護練習所の跡の碑。
■救急車、人車…この7輌編成の救急車、人車は筑豊炭田において最後の坑内掘りをした大之浦炭鉱(宮田町)で、 昭和52年2月の閉山まで使用された記念すべき貴重な資料である。寄贈 貝島炭鉱株式会社(案内板より)
【左】いろいろと展示。【真ん中】救急車、人車。【右】石炭科学館。
本機は圧気動にて坑道掘進現場に石炭、硬(ぼた)の積込みに使用するものである。 動力はエアーモーター17RUX1台で、能力は60〜90立法米/時。展示品は芳雄炭鉱にて使用されていたものである。(案内板より)
直方市石炭記念館 2015.1.2記
多賀神社の横の石炭記念館で、室外には蒸気機関車が展示されていて、年始だから閉館中だったけれど、室外は見学出来て良かった! 機関車はどちらも格好良かった(^^)