トロとまったり・tripのページ(白鳥城)

福岡県 白鳥城

ふくおかけん しらとりじょう

■白鳥城
■白鳥古戦場
駐車場=無し

2015/12/28現在

住所=柳川市三橋町白鳥
この時は、垂見城の見学後だったので、まず垂見城へ。その後右カーブを進み、次に右へ。 水路に架かる橋を渡って東へ進むと正面が城跡。 水路に沿うよう左折して、右折、また右折した左側に白鳥古戦場の碑がある。

白鳥城

柳川城主蒲池氏の支城の1つ。

■白鳥古戦場…ここは戦国時代に、肥前の軍勢と筑後・肥後の連合軍が激しく戦った場所である。 天正7年(1579)5月5日、筑後の支配を狙う肥前の龍造寺家治と鍋島直茂は、 兵1万を率い山下城(立花町)の蒲池鑑広(かまちあきひろ)を攻めてきた。 このことを予期していた鑑広は、肥後の大津山河内守資冬(おおつやまかわちのかみすけふゆ) と和仁丹波守(わにたんばのかみ)に援軍を求め、筑後の諸将とも連合し、瀬高の下庄に陣を敷いた。 鑑広らと肥前の軍勢は何度も戦い、疲れた肥前の軍勢はこの付近まで退却してきた。 そこへ鷹尾城(大和町)に待機していた田尻鎮種(たじりしげたね)と三池鎮実(みいけしげざね) が、すかさず攻撃を仕掛け、勝敗が決まらないまま日没まで死闘が続いた。 この戦いは白鳥合戦と呼ばれ、激しい戦いの様は現在まで語り継がれている。平成10年3月(三橋町教育委員会の案内板より)

【左】城跡の北側から南へ分断する道の北東に立つ「白鳥古戦場の碑」。
【真ん中】白鳥古戦場の碑の横の北東の水路。
【右】城跡の東側。

【左】城跡の北側から南へ分断する道。南方面を向いて。写真右側は土塁かな?
【右】城跡の西側。左の写真の右側。

【左】城跡の北側の道から。写真が変な色なのは、ダッシュボードの茶色の敷物が反射した。
【真ん中】北西の水路。左の写真の手前の水路。
【右】右上の写真の左側の奥に水路が続く。

白鳥城 2015.12.28記

碑や水路、土塁が見られた。こじんまりした印象。 地図では、水路がぐるっと巡っているようだけど、北から南へ分断する道からの見学で終了。 後で気付いたのだけど、なぜか土塁を単体で写していない(^^;) 車が邪魔だったのかな?他にももっと写せばよかったな〜。ちなみに、見学時間は約2分。

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