ふくおかけん つむらじょう
■津村城
■八幡神社
■民家の道沿いに説明板
駐車場=無し
2015/12/27現在
住所=大川市津
この時は、国道442号と国道208号の中原交差点で南西へ、東町信号で県道716号を南西へ。
2本目の十字路を左折、南東へ進み、次にT字路を右折、南下してY字路を左へ進んで、南東へ道なりに進むと左側に八幡神社。
八幡神社から少しだけ南東へ進んだ左側の民家に説明板が立つ。
大川には戦国時代、酒見・榎津・津村に城が築かれていた。 津村城に関しては、天正6年(1578)の筑後国領主付に津村大助二十四町所領の記録がある。 城址の位置は、八幡神社近くの字城跡といわれている。周辺の堀割と宇二ノ丸の地名は、内堀・外堀・二ノ丸の遺跡と想定されている。 津村大助秀門は、俵藤太秀郷の正統・栗木民部大輔秀政の子孫で、右京大輔秀保の時、九州に下向し、大友の幕下となり、津村城を築いて、津村を氏としたという。 天正6年11月、龍造寺隆信の筑後侵入で滅亡し、大助の子秀千代は城を逃れ、 浮羽郡に居住し内記と改名、内記の子を宗仙といい、宗仙の子・三郎左衛門は再び津村に来往し、庄屋となった。 江戸期の地誌・南筑明覧には、大野島の開拓にも従事したと記されている。 この地一帯から宝篋印塔(納経から墓碑となる)城の礎石や鬼瓦の一部と推定されるものが出土する。 (大川市教育委員会の説明板より)
【左】八幡神社。
【真ん中&右】八幡神社南東側の水堀。
【左&真ん中】八幡神社から南東へ進んで左側の民家に説明板が立つ。
【右】説明板から南東方面を。狭い道。
津村城 2015.12.27記
夕方5時過ぎで暗く、神社や説明板がある道は狭いので、車から写して見学終了(^^;) ちなみに、見学時間は約2分(車中からのみ)。