福島県 泉城 |
■泉城=見学自由 ■いわきコンピュータ・カレッジ横の公園 駐車場=無し(この時は路駐) (2009.6.20現在) |
住所=いわき市泉町4丁目13 この時は、海沿いの県道15号を西へ進み、 国道6号をくぐって県道20号の交差点を過ぎて、 県道240号になり、国道6号が左と書かれた案内板がある 薬屋さんの所を左折。すぐ信号があるので右折。 北野神社がある交差点を左折。少しして右側に移築門。 そこからすぐ右の路地へ。大通りへ出たら右折。 左側にいわきコンピュータ・カレッジがあって、 北側に城址碑のある公園がある。その公園を 左へ曲がると、右側にも土塁っぽいものがある公園(泉西公園) がある。 |
泉城 | ||
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泉は、岩城氏、鳥居氏、内藤氏の所領であった。
寛永11年10月、磐城領主・内藤政長の次男政晴が
初代泉藩主となり、2万石を領した。
2代政親の寛文8年3月より泉館と城下町の建設が始められた。
元禄15年7月、領主相互交代で板倉重同(しげあつ)が上野国安中より
移封し、1万5千石を領した。2代勝清の時、再び領主相互交代で
本多忠如(ただゆき)が遠江国相良より泉に移封となった。
2代忠籌(ただかず)の時、功績により5千石加増され、合わせて
2万石となった。以後あい続いて維新に及び明治4年7月廃藩置県と
なった。(泉地区地域振興協議会の碑より)
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赤玉本多 | ||
奥州泉藩主本多2代目本多忠籌侯は、寛政2年(1790)4月、老中に就任。 持槍2本を許され、登城の際は行列の先頭に立て、持槍2本のうち1本の 素槍には太陽をあらわす「朱天目」。俗に言う「赤玉本多」を槍の穂先に 飾り、威風堂々と登城し、その赤玉は昇る朝日に映えて、美しく見事 であったと語り伝えられている。また、諸大名は「赤玉」を遠くに 見た時、忠籌侯に敬意を表して行列を道脇に寄せ、譲ったともいわれている。 (説明より) | ||
泉西公園 | ||
いわきコンピュータ・カレッジ横の公園の北側にある泉西公園に、 土塁っぽいものが♪ | ||
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