【大館城】

福島県 大館城 ふくしまけん  おおだてじょう
■大館城(飯野平城)=見学自由
駐車場=無料駐車場       (2009.6.20現在)
住所=いわき市好間町下好間(よしままちしもよしま)
この時は、常磐自動車道 いわき中央I.Cを下りて右へ。 平バイパスから好間町田で左折(別に、 ここで下りなくてもよかったけど…。)、次に右折。 好間町下好間信号を過ぎ、次の信号を過ぎて、 少しして右側に城址碑があるので、そこを右折。 狭い坂を上がり、突き当りを右折(小さい案内板あり)。 石が埋め込まれた道を、道なりに進む。

飯野平城跡(大館城)
わが郷土は、磐城の中央部に位置し、鎌倉時代の初めから 好嶋荘に属し、政治・経済の中心地であった。 室町時代、磐城地方は豪族たちが互いに力を競い合っていた。 その中で、岩城隆忠は居城を長友(四倉)から白土(平)に 移し、統一支配を目指して長子親隆と共に、一方の雄岩崎氏 (島倉城主)を滅ぼした。さらに親隆は北進して楢葉郡 (双葉郡南部)を治めた。 常隆は文明15年(1483)磐城・磐前両郡の郡境にあたるこの地に 飯野平城(大館)を築き、居城を白土城から移した。 城内には菩提寺として曹洞宗青雲院を、必勝と平和を願って 真言宗長命寺を創建した。同17年常隆は常陸国(茨城県)に 侵攻し、守護佐竹家を服従させて、常陸の北部(北茨城・ 高萩市・里美村)を領有した。次いで盛隆は、永正7年 (1510)白河郡の領主白川家を攻略した。 ここに、岩城氏は陸奥・下野・常陸の三国に強大な 勢力圏を築き、戦国大名の居城として「飯野平城」はその 中心となった。同11年盛隆、由隆・政隆父子は、陸奥・ 関東第一の覇者たらんと下野国宇都宮に侵攻したが、 勝機を逸した。以後、岩城氏は重隆・親隆・常隆・貞隆と 続いた。 岩城氏はまた神仏を崇拝し、古典籍や和歌・連歌等の文芸を 好み、猪苗代兼載や雪村等を招き、当地方の文化の振興に つとめた。しかし、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで 徳川方に加担しなかったため、岩城氏は同7年5月、 徳川家康に所領を没収された。同年11月に旧岩城領を 与えられた鳥居忠政は新たに城の北東、物見ヶ岡(平)に 居城を築いた。そのため飯野平城(大館)は廃された。 寛永2年(1625)法印宥浄は旧城郭内に月山寺を開き、 湯殿山権現を祀った。明治初年の神仏習合廃止によって、 社号を湯殿山神社と改めた。 岩城氏は8代・120年にわたりこの地を居城とした。(史碑より)
城址入口の城址碑 上がって… 本丸下の曲輪
あっ!という間に、通り過ぎた(笑) この後、ガタゴトと凄い道に…(^^;) 本丸下の曲輪が駐車場。
本丸への石段 本丸 振り返って
史碑の横の石段を上がる。 本丸の奥を。緑色がとてもきれい。 なんだか平面ではない本丸。
本丸からの景色 空堀? 遠景
木々が凄くて何も見えず…。 駐車場の曲輪付近で。空堀? 北東付近から。いろいろ邪魔…。

■大館城
あっ!という間に通り過ぎてしまった城址碑のある入口。 車の流れが速いから、いきなりは難しくて…(^^;) 城址入口からの道は狭いし。対向車が来なくてよかった…。 その後、石が埋め込まれた道に!少し車高の低い車だから、 ガタゴト振動が凄いのなんの(^^;) 城跡まで車で行く事ができるから、ラクなんだけど。 そういえば、遠景を…と思うも、近いからか建物や電線が 邪魔な写真になってしまった…。

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