岐阜県 郡上八幡城 |
■郡上八幡城(別名=積翠城)=大人300円 開館時間=9時〜17時 =8時〜18時(6月〜8月) =9時〜16時半(11月〜2月) 休館日=12月20日〜1月10日 駐車場=無料 (2004.9.19現在) |
住所=郡上市八幡町柳町一の平659 (この時は)東海北陸自動車道 郡上八幡ICを下りて 国道156号を右折(白鳥方面) 最初の信号を右折、 そのまま道なりに進む。八幡城右折の標識がでて、 その信号を右折し市街地へ。八幡城左折の標識通り 左折、寺を過ぎて左折。山を登って行く。 すると中腹のPに着く。山頂付近のPに行くなら 突き当たりを右折(一方通行/車を切り返す程狭い) 登る。 |
八幡城の沿革 | |
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永禄2年(1559)遠藤盛数が、東殿山(市街地南方) の東家を滅し、八幡城を築いたのがこの城の創始である。 後、秀吉が天下を統一し、領地二万石を没収せられて、 加茂郡小原に転封され稲葉右京亮貞通が城主となり、 城郭を修築して天守台等を設けた。やがて関ヶ原合戦が 起ると遠藤慶隆は家康に味方し、慶長5年(1600)再び遠藤氏が 城主となった。 元禄5年(1692)遠藤氏後嗣なく没収せられ、常陸より井上正任が城主 (四万石)となって来封したが、間もなく同11年金森頼ときがこれに 代わって封せられた。宝暦8年、金森頼錦の晩年になって失政の為、 農民困窮甚だしく、ついに金森騒動宝暦義民の一揆が起り、 その為一家は断絶され、同年丹後国宮津の城主青山幸道が代って 郡上藩主となり、八幡城下四万八千石を領する事になった。 その後、藩政良く治ってその後明治維新によって廃城となり、石垣を残し てすべて取り壊された。 昭和8年(1933)、当時、国宝であった大垣城を参考に再建、 木造4層5階建の天守閣が造られた。(案内板より) | |
天守閣の石垣の中から木が! | 中は木で、ギシギシ音がする。 |
入館出入り口 | 隅櫓 | |
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大手門跡 | 東殿山城跡 | 山内一豊と妻の像 |
この四辻は昔侍町四辻と言われ明治維新まで 黒塗の立派な大手門が建っていた。 (観光協会・大手町の案内板より) |
1番大きい山の左側の、少し尖ってる 右側辺りにある。石垣の遺構有。 |
本丸跡の近くに建っている。 反対側に駐車場もあった。 |
■郡上八幡城
何て言ったって、山頂の駐車場までの山道狭過ぎ(@o@) 5ナンバーの車で、何度切り返したことか・・・(T□T)しかも、後ろの車がコンパクトカーだから、 切り返さなくてもいいから車間距離縮め過ぎ!!おかげで、バックやりにくっ! というわけで、これから見に行く人は、絶対に車間距離を保つ事をオススメ。 そんな場所にお城。造るのに大変だっただろうな・・・。慰霊碑も多数で これも凄い・・・(^^;) 石垣とお城は迫力があって感激(≧▽≦)山道も大変だったから、余計に。 その他、下の道路で大手門跡等が、見る事ができた♪ ←2008.7.29撮影。東海北陸自動車道を走っていると、 郡上八幡城が、(小さくだけど)見えた!周りの雲が凄い! |
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