【帰雲城】

岐阜県 帰雲城  ぎふけん  かえりぐもじょう
■帰雲城=見学自由
駐車場=駐車スペース      (2008.7.27現在)
住所=大野郡白川村保木脇
この時は、国道156号を白川郷から南下。 鳩谷ダムを過ぎて少し走ると、左側に 生コンの会社の所に、帰雲城埋没地の案内板がある。

帰雲城
帰雲城は、寛正の初め(1460年頃)、 内島上野介為氏によって築かれた城である。 4代、氏理の時代、天正13年(1585)旧11月29日、 東海・北陸・近畿に及ぶ広範の地域を襲った 巨大地震によって、帰雲山に大崩壊が起こり、 帰雲城とその城下集落が一瞬にして、埋没したと 伝えられている。埋没前の、帰雲城の位置は 確認されていないが、地勢・堆積土砂等からして、 この周辺地域と推測される。(白川村の碑より)
入口 帰り雲神社
白川郷から南下していくと、国道沿いに 帰雲城埋没地の案内板があるので、 分かりやすい(^^) 生コンの会社の横に、城址碑と説明板があって、 対岸に帰雲城跡が見える。 流れる雲は、常にこの山頂に至り、もと来た 空に帰るという。対岸の帰雲山は、天正13年(1585) 11月29日夜、大地震にて崩壊、時の帰雲城主・内ヶ島 兵庫頭氏理、主従一族(数百)と山麓の城下町は一瞬にして、 この地に深く埋没したと伝えられている。 祠は、霊夢を感じた平瀬の、田口勇一氏と保木脇部落の 有志が、地下の霊を弔う為、建立された。 (帰り雲神社由来碑より)
(右)案内板によると、石垣に、武将の面影と姫様の横顔が見えるらしい?

■帰雲城
白川郷から南下しつつ、ダム越しに見る山は、 所々崩落していて、土の脆さを感じさせる(^^;) まだかなぁ?と、走りやすい道を進んで行くと、 帰雲城埋没地の案内板が♪おおっ!ここかぁと、 車を中に入れて、対岸を見ると、ボコッ!と山頂がへこんだ山が! あの辺りの城が無くなった…という驚きと、 未だにあのままの姿というのも、驚き(@o@) そういえば、側にあった帰り雲神社の石垣に、案内板の位置から、 武将の面影とお姫様の横顔が、 見えるとか。でも「?」だったな。

【 岐阜のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る