岐阜県 高堂城 |
■高堂城=見学自由 駐車場=微妙(大手道前に駐車スペースがある…。 ただ、車が通っていいかは「?」) (2008.7.27現在) |
住所=高山市国府町瓜巣 この時は、飛騨市方面へ国道41号を北上し、名張交差点を左折、 県道471号(県道482号方面)を左折、 そのまま県道471号を走って、 川の手前で県道482号へ。走っていくと、 右側に高堂城跡の石碑と説明板がある。 その後ろの道を進んで行くと、大手道。 (※この時、城址碑から大手道までの道は、 ひどい砂利道&狭かったので、注意した方がいいかも。 でも、城址碑から大手道まで、ソロリソロリ上がって、 5分弱かかってるから、車だとラク。でも、通っていいかは「?」。) |
高堂城 | ||
---|---|---|
かつて広瀬郷を治めていた広瀬氏の居城であり、 天文年間(1532〜54)に、広瀬左近将監利治が、 この地に築城したとされている。 標高はおよそ700m、四面は天然の要害となっており、 宮川を南北に俯瞰することができ、 山頂には平地があり、以下段々に小さな平地がある。 名張地区にある広瀬城の詰城としてその規模は、 高山市にある高山城・松倉城に継ぐものと言われている。 後、広瀬氏は、三木自綱に滅ぼされ、城の主は、三木氏に 移ったが、この三木氏も天文13年(1585)豊臣秀吉の 命を受けた金森長近により攻められ、広瀬城により防戦したが 降伏した。(案内板より) | ||
大手道(登山口) | 旧信号所 | 雲が下に…! |
1番上の写真の後ろの砂利道を進むと、大手道に到着。 テクテク先を進み、石棺を過ぎ、山の中を進むと、旧信号所。 | ||
■高堂城
|
【 岐阜のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |