後閑城
(案内板の写真をクリック→拡大)
|
後閑城は、嘉吉・文安の頃(15世紀半ば)信州の依田忠政(よだただまさ)が築いたと伝えられている。
上後閑の長源寺にある文明2年(1470)10月3日付けの依田信濃入道寄進状もそれを裏付けている。
この城は、後閑川と九十九川の合流地点に突き出した、南北に続く丘陵の末端部分に築かれた山城。
この山城は、四ヶ所の堀切で断たれ、南端の最も高い部分に「本丸」がある。
本丸は南北約60m、幅約30mで、西には階段状に三つの大郭(西第一〜西第三郭)が並び、
東にも階段状に郭(東郭、東郭群)が並んでいる。また本丸の東南と西南には枝尾根が分岐していて、
それぞれの尾根の基部は堀切で断たれている。
これにより二の丸と南郭は本城から切り離され、いわゆる一城別郭の構造になっている。
二の丸は本丸より約16m低く、大堀切に面して櫓台が築かれている。
このたび後閑城址公園整備にあたり、発掘調査を行ったが、本丸虎口部分の柱穴・二の丸櫓台上の
柱穴の他には、建物に関係する遺構は検出することが出来なかった。(安中市の案内板より)
後閑城は、信州の依田忠政により6年の歳月を費やして、
文安4年(1447)に完成したといわれる。
戦国乱世には、城主が北条政時、新田景純(後に
姓を後閑と改称)信純、真純とかわり、
天正10年(1382)織田方の松井田城代
津田小平次によって攻撃され、
真純以下悉く討死し、城は廃されたと伝えられている。(安中市の案内板より)
|
|
|
|
西第三郭(駐車場) |
西第二郭 |
西第二郭の横 |
車1台しか通れない道をハラハラ
しながら進んで、着いた駐車場。
|
凄くきれいに整備されてあってビックリした。横からの
ラインもとってもきれいで撮らずにいられなかった(^^)
|
 |
 |
 |
西第一郭 |
西第一郭から西第二郭を見る |
北第一堀切 |
どんどんと上っていく。駐車場の車が小さくなっていく(^^)
一段下の西第二郭では親子が遊んでた。ほのぼの〜。
|
凄く大きな堀切!(左下も) 青空と堀切。いい感じ〜♪
|
 |
 |
 |
北第一堀切 |
北第二堀切 |
次の北第二堀切は、少し規模が小さくなった堀切。
北郭から見ると(右の写真)下に続いているのが分かる。凄いなぁ。
|
 |
 |
 |
北第三堀切 |
北郭 |
東郭群 |
今までの後だから、普通に感じる(笑) |
北第三堀切の上。結構高い場所。 |
「群」だけにこういうのがいっぱい。 |
 |
 |
 |
東郭群 |
東郭群の階段を下りて二の丸へ |
大堀切 |
(真ん中)丸い植木がかわいく思える。しかし、アップダウンが多いなぁ(^^;)
(右)二の丸の前に、大堀切を。(左下も)
|
 |
 |
 |
大堀切 |
二の丸 |
■二の丸…
後閑城の二の丸は、本丸から約20mの比高差があり、北から南東方向に
「く」の字形に曲がりながら延びている。本丸と二の丸の間には、
大堀切があり、それによって本丸とは完全に断たれた、一城別郭と言われる
構造になっている。これにより、戦いによって二の丸が落とされたとしても、
本城には塁を及ぼさないようになっているのである。
この様な構造は、山城に多く見る事が出来る。
二の丸の大堀切に面した部分には、他の部分より一段高く櫓台が築かれている。
発掘調査の結果、柱跡が確認された為、物見櫓の推定復元を行った。
(安中市の案内板より)
|
 |
 |
 |
二の丸の奥 |
二の丸の奥手前の堀 |
二の丸にある物見櫓 |
丸い植木が、赤と緑で面白い♪きれいな紅葉には少し早かったかな。
復元物見櫓は、中に入ることが出来た(^^)
|
 |
 |
 |
櫓台から本丸を見る |
南郭 |
南堀切 |
櫓台から本丸の少し紅葉している木をパチリ。
あれ?縦堀?見えなくもないような筋が。
|
 |
 |
 |
南堀切横は一段低くなってた。 |
東郭 |
本丸 |
(左)一段低くなっていたから、気になって写してみた。
(真ん中)また東郭まで戻って上にある本丸へ。
(右)本丸には物凄い数の庚申石碑がズラ〜ッと
並んでて圧倒される。写真は
何も無かった所を(^^;)
|
 |
 |
 |
本丸からの景色 |
本丸にある模型 |
凄く気持ちいい場所だったな〜。堀切がこんなにいっぱいあるし、
見に来て良かった(^^)
|
 |
 |
 |