【館城】

北海道 館城 ほっかいどう  たてじょう
■館城=見学自由
■館城跡公園
駐車場=?(この時は路駐)    (2005.8.1現在)
※案内板の駐車場は、実際は段差があるし、 閉鎖されているようにも見えたので路駐した。
住所=檜山郡厚沢部町城丘
この時は、江差方面から厚沢部町方面へ国道227号を進み〜 道道29号〜道道634号〜それて館城へ。館城へ向かう所に、立派な門があった。

館城 (写真をクリック→拡大)
宇城丘の丘陵地にあり、南方は深山を蔽い、濁川、糖野川を三方にめぐらし 要害に最も適した箇所であった。 明治維新の事変に際し松前藩主十八世徳広、福山城の海面に対する防備が 不備である事を心配して、ここに新城を築いた。 その規模は濠溝を廻らし、一万坪の敷地面積に長さ一丈の絵杭をもって 柵を設け、南口に表門、北に裏門を構え、三十二間に十二間の本丸を 始め、十間に八間の大広間・武士部屋・米倉その他職人・人夫部屋を 建て列ね、合戦の場合には直ちに濁川・糖野川の水を堰き止め、 外堀に水を湛える計画であった。 明治元年10月26日、五稜郭を占領した徳川脱走軍福山城に迫ると、 藩主徳広は福山城を遁れ、夫人及び男子三児、その他藩主300人を従え、 工事中の城の岱の新城に移った。 11月5日、福山城を占領した徳川勢はさらに進んで11月15日館城を 攻撃し、松前軍勇戦奮闘努めるも、その甲斐なく、ついに16日 落城し、藩主徳広公はその内室子息と共に近臣に護られ熊石に 逃れた。今その城跡の名残を止むものは土台石、井戸、便所跡などで、 当時の追懐を物語るの感が多い。(案内板より)
館城へ向かう途中の門 百間堀 土塁
凄く立派な門が立ってる(^^) 道路を挟んで本丸と反対側にある百間堀。土塁もなかなかいい感じ♪
何かな? 本丸跡 武士部屋跡
本丸の奥へ行くと… 米倉跡 賄部屋跡(米倉跡を背にして)
何も無くて寂しく感じるけど、館城跡まつりでは、 慰霊祭やいろいろなショーが行われて、凄く賑わうらしい(^^)

■館城
駐車場がある辺りは段差があって、どう考えても車が置けないし、トイレも閉鎖中…。 でも、桜が咲く頃は盛大に集まるみたい。そんな館城には、巨大な井戸がある(^^;) 夜来ると怖いだろうな〜っていうような(笑)小さい井戸もあるし、写すまいと思っても 絶対にどこかに写ってしまう。でも、百間堀や土塁は、とってもいい感じだった(^^)

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