兵庫県 御着城 |
■御着城(別名=茶臼山城、天川城)=見学自由 ■姫路市東出張所・御国野公民館 駐車場=姫路市東出張所・御国野公民館用が数台 (2008.10.31現在) |
住所=姫路市御国野町御着 この時は、姫路城の後で行ったので、 国道2号(バイパスでない)を東へ進み、 国道312号との御国野信号を過ぎて、 天川を渡って、御着橋東詰信号を過ぎて、 姫路市東出張所の看板を左折。 |
御着城 | ||
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御着城は茶臼山城・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣・ 小寺氏の居城。永正16(1519)小寺政隆が築城、則職・政職と 継承され、天正6年(1578)か7年に、羽柴秀吉の播磨侵攻で 滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441〜44)にはすでに 構居が設けられていたとされ、明応年間(1492〜1501)には、 赤松氏の播磨支配の拠点として守護所の機能を持つ城郭として 機能していた。 昭和52〜54年の発掘調査で、御着城が14世紀後半から16世紀後半まで 存続し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な 縄張りが行われたことが判明。中世の人々との生活に深く関わる 土器・陶磁器・木製品・石製品などの遺物も検出された。 宝暦5年(1755)の「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」 には、城の中核に本丸と二ノ丸、西と南は天川を利用した二重の堀、 北と東は四重の堀、外郭部に家中屋敷や町家の記載があり、 惣構えの城が描かれている。現在、御着城跡の中央を東西に 国道2号線が走り、本丸跡に市役所東出張所・御着城公園・御国野 公民館がある。 (姫路市教育委員会の案内板より) | ||
本丸跡 | 姫路市東出張所 | 2号線方面 |
(2枚)本丸には、お城風な建物(姫路市東出張所・御国野公民館)が
建っていた(^^)夕方5時過ぎだから、薄暗い。 (右)写真突き当りが、御着城跡を分断している国道2号線。 交通量が多くてビックリ!右に出るのに大変だった(^^;) |
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グランド | 土塁 | 土塁と濠跡 |
姫路市東出張所・御国野公民館横のグランド周りに、 土塁や濠跡が見られるのは嬉しい(^^)特に北〜東側。 | ||
天川橋(濠跡) | ||
姫路藩が文政11年(1828)に、この地より南西200mの旧西国街道の
天川に架橋した総竜山石製の太鼓橋。全長26.6m、幅4.45mで、高さ
は約5mで、橋脚5本。印南郡石工瀬助・中右衛門の作。姫路藩儒者・
近藤顧一郎撰の銘文が刻まれてある。橋の東北詰めには高札場があった。
昭和47年9月9日の出水で中央部橋脚が崩れ、橋脚が落下したため
撤去し、昭和53年10月、現在地に移設保存した。
高さは地形に合わせて低くしてある。
地形中央部の低いところは、御着城の濠跡。
(姫路市教育委員会の案内板より)
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■御着城
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