茨城県 古河公方館 |
■古河総合公園=無料 ■古河公方館跡=見学自由 駐車場=無料(※有料時もあり!)(2007.2.25現在) ※古河公方館跡のページは、 2005.2.27(夕方)と2007.2.25(朝)の写真を 使用しています。 |
住所=古河市鴻巣399-1 茨城側からの国道354号の場合、国道4号との大堤交差点を過ぎて、 県道228号、261号との交差点を過ぎて、次の大きな鴻之巣交差点を左折。 少し走って、古河総合公園方面へ右折。 この時は、鴻之巣交差点を過ぎて、「古河総合公園」という小さな 看板に従って左へ入り、狭い道を走って古河総合公園へ。 |
古河公方館跡石碑 | 古河公方館跡の空堀 | |
---|---|---|
紙を持参すると、石碑(左)横にある古河公方館のスタンプが押せる(^^) | こちらは2005.2.27撮影のもの。 | |
天神橋 | 筑波見の丘 | 筑波山 |
天神橋の由来は、藩政時代にこの森にあった天神の小祠を偲んで、名付けられた。 この近くの筑波見の丘に上がると、天神橋の向こうに筑波山が見える(^^) ということは、天神橋からも見えたってことか…。寒くて余裕が無かったからなぁ。 | ||
御所沼&富士見塚(ちょっとパノラマっぽく) | 御所沼&あずまや | |
富士見塚は、御所沼を復元した時の残土を積み上げて作られたとか。 右(2005.2.27撮影)は、真ん中の写真の右側。 | ||
相ノ谷橋 | 御所沼と古河公方屋敷跡 | 新久田道 |
(左)橋の由来は、旧御所沼最深部の小字名から。(真ん中)相ノ谷橋付近から古河公方屋敷跡を望む。 | ||
かわうそ橋 | 御所沼と古河公方屋敷跡 | あずまや&古河公方屋敷跡 |
(真ん中)かわうそ橋から。由来が知りたかったけど、 石碑が読めなくて(^^;) | 管理棟側から。 | |
旧中山家住宅 | ||
この民家は、もと茨城県岩井市大字辺田の中山氏の所有であったが、
氏の寄贈により当地に移築したもの。
中山家は、武士の出身で、江戸時代初期、辺田村に移住し帰農したといわれ、
代々辺田村の組頭などを勤めた旧家である。
この住宅は、猿島地方に多く見られる直屋といわれる型で、平面は東側の広い
「どま」と、中央の無目(溝なし)の敷居に分けられた「ひろま」と西側の
前室のある「ざしき」とその裏の「なんど」からなり、
桁行九間半梁間五間半の
大型農家である。
住宅の建築年代については確証を欠くが、今回の解体修理中に発見された
床板裏面の墨書に「延宝二歳寅二日…」とあったことから延宝2年(1674)
に建てられた可能性が強い。
その後、幾度かの改造及び補修を経てきているが、幸い軸部は当初の状態で
残存し、保存状態も良好で猿島地方の大型農家の典型として、昭和48年
茨城県の文化財指定を受けている。移築に当たっては建築当初の型に
復元するという方針で行った。
(古河市教育委員会の案内板より)
(右=2005.2.27撮影) |
||
旧飛田家住宅(国指定重要文化財) | ||
この民家は、もと茨城県久慈郡金砂郷村大字岩手の飛田氏の
所有であったが、事情により当地に移築したもの。
建築年代は、飛田家の初代夫婦のものと思われる位牌に延享元年
(1744)及び寛延元年(1748)の没年が記されており、それに構造手法等を
考えあわせると、18世紀前半と推測される。
この住宅は、東北から常陸地方北部にかけてよく見られるいわゆる曲り屋で、土間の
「うまや」部分が突出しL字型をなしている。居室の方は、
土間に続いて、まず広い
「板の間」があり、その片隅には小さな「へや」が設けられており、
更にその奥には前室のある「ざしき」が並ぶ形式である。
建設後は何回もの改造及び補修を経てきているものの、構造、平面等にはそれほどの
変化は無く、よく旧態を残している。また現在茨城県下で知られる曲り屋形式の中で、
最も古いものとして、昭和43年国の文化財指定を受けている。
なお、移築に当たっては建築当初の型に復元するという
文化庁の方針で行った。
(古河市教育委員会の案内板より)
(右=2005.2.27撮影) |
梅林 | |
---|---|
快晴の梅林!梅の香りがほんのり漂って、気持ちいい〜(^^) 特に、右の写真の梅!一際大きくて存在感タップリ♪ | |
梅の中に動くものが… | 犯人は、メジロ♪ | 茶畑 |
---|---|---|
梅にチョコチョコ動く影。メジロが、器用な格好で梅の蜜を吸ってた(^^) | 2005.2.27撮影。↑の段2枚の梅も。 | |
■古河公方館…2007.2.25記
|
【 茨城のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |