【馬坂城】

茨城県 馬坂城 いばらきけん まさかじょう
■馬坂城
駐車場=なし             (2006.5.6現在)
住所=常陸太田市天神林町
この時は、西から国道293号を常陸太田市方面へ走って、 久米交差点を過ぎ、斜め右の国道293号へ進み、 宮本町信号を右へ。 国土交通省前交差点を右折(大きめな交差点)。 少し走って、信号を過ぎ、少し走ると右に佐竹寺があって、 その佐竹寺の前の道を右折。車1台分くらいの凄く狭い道が続いて、 稲付神社の案内板を過ぎて、 坂を下りそうになる所に、車がすれ違えるスペースがあるので、 そこへ今回は駐車した。そこから歩いて坂を下って、右側に 馬坂城の入口がある。

馬坂城 (写真をクリック→拡大)
平安時代の末期、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫昌義は、 久慈郡佐竹郷に永住し、佐竹氏を名乗り馬坂城を築いた。 馬坂城は、約6,032u(約1828坪)の敷地に三つの 曲輪を設けた平山城で、北を鶴が池、西南を山田川が 囲む自然の要害であった。 佐竹氏は三代隆義が太田城(舞鶴城)に移り、 その後馬坂城には4代秀義の子・義清が稲木氏を名乗って 居住し、稲木氏滅亡後は14代義俊の子義成が天神林氏を 名乗り居住したが、慶長7年(1602)の佐竹氏秋田移封に ともない廃城となった。なおこの城内には、縄文時代前期の 頃と見られる間坂貝塚がある。 (常陸太田市の案内板より)
佐竹寺から来ると、馬坂城の案内看板が逆で見えないのだ 馬坂城の入口
佐竹寺の道から入って走ると、狭い狭い! 前から車が来たらどうしよう…と不安になりながら目指した(^^;) しかも、車の駐車が大変!一応、坂を越えそう〜って な所に、車がすれ違えるスペースがあるので、そこへ。 (真ん中の写真=愛車)
階段を上がりつつ景色を眺める 字御城
階段を上がりきると畑がど〜んと広がっていて、ポツンと城址碑と案内板が建っている。なんだか不思議。
字御城から北東方面 字御城から西城方面へ 恐らく、堀切だと…。
西城方面へ歩いて行くと、堀切であろう場所が。 その奥地は鬱蒼としていて、ちょっとやばそうなので、 少しだけ(^^;)
西城の下辺りかな
堀切を過ぎて、道を(左の写真)「この上は西城なのかなぁ?」と 見上げつつ(右の写真)進んで行くと、民家に到着。

■馬坂城
春なのに、初夏のような暑さ。写真も初夏っぽいなぁ〜(^^;)それにしても、駐車場に 困ったし、素人なので、縄張り図があっても、字御城くらいしか分からなかった…。堀切 もこれだと思うんだけど、さすがにヤブ化している奥地には進めなかった(笑)民家に続く 道を進んで、この上だろうなぁ〜と思いながら歩くだけ。でも、畑なのに、こうやって見せて 貰えるって、凄いな〜(^^)

【 茨城のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る