茨城県 高井城 |
■高井城祉公園(高井城)=見学自由 駐車場=無料 (2005.9.10現在) |
住所=取手市下高井 千葉方面から国道6号を茨城・取手市方面へ走り、 国道294号へ左折。左にある大きなキャノンを過ぎ、 右の新取手駅を過ぎ、野々井←↑294号→稲戸井駅の案内標識の 所を(シェル過ぎてすぐ)右折。線路を渡ってひたすら真っすぐっぽく進み、 永山公民館を過ぎて走って行くと、曲がる感じの道になり、 高源寺の前を過ぎて少し走ると、高井城祉公園の看板があって、 左折。少しすると右側が公園で、反対側に左折すると駐車場。 高源寺には地蔵欅が有名らしく、地蔵欅の標識を 高源寺までは従って進むといいかも。 |
高井城 | |
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高井城は、小貝川を北に臨む半島状台地に築かれた、取手市内で最も大きい
戦国時代後期の城跡である。城跡全体は約200m四方の規模で、その内部は、主郭と
それに付属する二つの曲輪からなる中心部と、その外側に広がる外郭から成り立っている。
標高は21m、小貝川に沿った低地からの比高は約10mである。
現在、城跡一帯は大部分が宅地となり、外郭遺構は部分しか残っていないが、城の中心部である
主郭とそれの伴う曲輪は良好な状態で保存されている。
主郭は、南北65m東西45mの正方形に近い形で、四方に土塁がめぐらされている。
主郭南辺と西辺の土塁壁上に虎口が、南東端には櫓台が残る。主郭南辺と東辺の土塁は、
主郭内で最も高く築かれて、その外側に堀が設けられている。主郭西辺には、半円形の
張り出し部分と虎口、それに虎口外側には桝形状遺構がある。
主郭内は東側から西側に傾斜しており、土塁に沿って排水溝と思われる遺構が確認されている。
主郭と第2郭、城外への連絡方法は、桝形になっている主郭西側虎口を出て、
上段の通路状遺構を北に進むと下段の通路状遺構へ下る通路にあたる。
この通路をさらに北に進むと桝形状遺構を経て第2郭にいたり、この通路を折り返す形で
南に進むと、下段の通路状遺構から城の搦手である城跡西側の谷津に至る構造になっている。
第2郭は、土塁を挟んで主郭の北側に位置している。第2郭の西辺には、曲輪の下方に
小規模な堀跡と思われる腰曲輪状の平坦面が築かれており、第2郭西側の守りを
固めている。第3郭は、堀を隔てて主郭の南側に位置している。第3郭は、曲輪の東の
部分が消滅しているが、西辺と南辺には土塁の痕跡とその外側に堀の痕跡、
南辺の土塁痕跡の東端には櫓台状の遺構がある。また第3郭北西斜面には平坦面が築かれ、
井戸跡がある。
高井城がいつ頃築かれたかは明らかではないが、高井の地名は建武3年(1336)11月22日
付相馬親胤宛「斯波家長奉書」に大鹿村(現在の白山地区)とともにみえ、
この時点で相馬氏の知行地であった。天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原攻めの際、
後北条氏とともに下総系相馬氏が滅亡した為、高井城は廃城となりその役割を終えた。 (取手市役所の案内板より・復元図等も) (上=高井城跡中心部略測図、下=高井城跡主郭部分の想定復元図) |
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高井城跡周辺図 | 高井城址公園 案内図 |
こっちから高井城祉公園へ。 | 公園の左側を左折して駐車場へ。 | 左折後すぐ左に駐車場 |
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ここまで来るのに、こっちかな?こっちかな?って感じだった(^^;) 地蔵欅(けやき)の看板を目指していくといいかも。 | ||
駐車場(茶色いのは猫) | 池&歌碑 | 池横の道 |
北側の自由広場 | いざ、城跡へ。 | 通路状遺構 |
枡形状遺構 | 草だらけの主郭 | 虎口 |
わっさわっさと草の中を歩いて、虎口へ(^^;) 虎口から見た主郭は明るくて、虎口からこっちは別世界。 | ||
虎口の土塁 | 案内板の反対側の道 | 外へ |
この付近にとても詳しい解説版が立っている。でも、 夏は蚊に注意。凄い勢いで生き血を求めてやってくる。 | ||
振り返る | 高井城をぐる〜っと回った道 | 駐車場付近から高井城を見る |
蚊から逃れるように、急いで歩く。それにしても土塁が素敵。 案内板の道を真っすぐに行くと、住宅街に出る。 | ||
林の中に見える土塁 | 高井城を抜けると、住宅街 | 高井城の周り |
高井城祉公園のコスモス | |
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右の写真にはアゲハ蝶が♪ | |
■高井城
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