土浦城跡
(案内板の写真をクリック→拡大)
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別名、亀城。城が水堀によって水に浮かぶ亀のように見えるから。
土浦城は、一名亀城とも呼ばれ、平城で、
幾重にも巡らした濠を固めとする水城でもあった。
城は、城跡に指定されている本丸・二の丸を中心に、三の丸・外丸の他、武家屋敷や
町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ濠で囲む総構えの規模を持つものであった。
江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、二の丸と外丸の
間に移建された旧前川門(高麗門)があり、復元された建物としては、
東櫓・西櫓がある。
戦国時代には、城主は若泉氏、信太(しだ)氏、菅谷(すげのや)氏と
変遷したが、織豊期には結城秀康の支配下に入った。
江戸時代の城主は松平(藤井)氏、西尾氏、朽木(くつき)氏、土屋氏、
松平(大河内)氏と変わったが、土屋政直が再び入城して、
以後明治維新に至るまで土屋氏(9万5千石)の居城となった。
明治以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、自治会館等に
利用され、現在は二の丸跡の一部と供に亀城公園となっている。
(土浦市教育委員会の案内板より・絵図も)
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櫓門
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櫓門前の石碑がなかなか大きい(^^;)
本丸は広々で静寂。二の丸は賑やか!
小高い所でお弁当を食べた(^^)
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本丸跡 |
県指定文化財 亀城のシイ |
天然記念物のこのシイ(椎)の樹種名は、
スダジイ(別名イタジイ・ナガジイ)。
スダジイは福島県と新潟県以南の暖地に自生する、
ブナ科の常緑高木で、種子は食用になる。
このシイの胸高周は7m、樹高は16m、枝張り21m、
樹齢は約500年と推定されている。県下のシイの
中でも有数の巨樹である。(土浦市教育委員会の案内板より)
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西櫓(真ん中=博物館側から) |
本建造物は、17世紀初頭元和6・7年頃城主西尾氏の時代に本丸土塁上に
東西の櫓が建立されたとされ、西櫓はその一方の櫓である。
土浦城は、その後土屋氏の居城として明治の廃藩置県における土浦の中心、
象徴として存在していた。
土浦城内の建造物は、明治以降、
本丸館を始め多くの建物が火災や移築、
取り壊しにより失われ、昭和・戦後に至り、本丸には、太鼓櫓、霞門、西櫓を残す
のみとなった。
そして、この西櫓も老朽化と昭和24年のキテイ台風により、
小破し、昭和25年に復元を前提として解体された。
その復元を見ず今日に至り土塁上には礎石のみが残され、
僅かに往時を偲ばせるのに過ぎなかったものを、市民の浄財を
もとに復元した物である。
(土浦市教育委員会の案内板より)
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東櫓・土浦市立博物館付属展示館 |
■礎石と基礎地業…
建物の土台から上の重さを受け、その重さを地盤に
伝える部分を基礎と言う。復元前の東西の櫓の
土塁上には、礎石が残されていた。
これらの礎石の表面には、土台や壁の跡が残されており、
建物を復元するときの手掛かりとなった。
発掘調査をしたところ、東西の櫓の礎石下のつくりが
違っていた事がわかった。西櫓は地盤を掘りくぼめ、
小石などを入れて叩き固められていた。
東櫓ではさらに下に丸太材が打ち込まれていたようだ。
(土浦市教育委員会の案内板より)
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二の丸跡 |
二の丸跡の桜 |
土浦市立博物館 |
公園になってる二の丸跡。
かなり気性が激しそうな猿がいた(笑)
ウキ〜ッ!
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土浦市立博物館は、東櫓と一緒に見学出来るらしい。
花見時期はこっちの土浦市立博物館の駐車場は満車になる可能盛大。
おまけに路上駐車していたりで、入り込むとUターンが難しい。
最初から違う場所にとめた方が無難かも。
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