【水沢城】

岩手県 水沢城 いわてけん  みずさわじょう
■水沢城(別名=水沢要害)=見学自由
■奥州市役所本庁・水沢総合支所
駐車場=市役所・合同庁舎   (2007.9.23現在)
住所=奥州市水沢区大手町1丁目1番地
(東北自動車道 水沢ICが近い) この時は、国道4号を南下し、県道226号の市街方面へ。 あとは奥州市役所(※県道226号沿いではない。) の案内板に従って、進んだ。

水沢城
水沢城は、いつ、誰が最初築いたか明らかではないが、地形的にも、 早くから城館が存在し、戦備に利用されたと思われる。 天正19年(1591)、豊臣秀吉が天正年間の一揆を下した後、 家臣上杉景勝が修復し、伊達政宗に渡したといわれる。 その後、伊達の臣、白石宗実、柴田外記、石母田宗頼らが 居城した。 かつて奥州留守職であった留守氏が、岩切の高森城、 利府黄海、清水、一関、金ヶ崎を経て、寛永6年(1629) 伊達宗利(留守氏)の時、この地に移され城主となった。 以後、1万石から1万6千石となり、明治維新まで約240年間居城した。 本丸、南の丸、二の丸、三の丸等があり、次第に城下町が 形成された。 天保12年(1841)城中に藩校立生館が置かれた。 廃藩置県後は、胆沢県庁、小学校などと変わり、現在、市役所や 合同庁舎がたっている。 本丸、二の丸等のあった所は、住宅地となり、城跡の面影が 殆ど失われているが、吉小路、新小路、日高小路、大畑小路などは、 城内の面影を残し、当時を偲ぶ武家屋敷が旧構のまま残されている。
城は、正確には水沢要害と呼ばれ、一之曲輪(本丸)、二之曲輪(二の丸)、 三之曲輪(三の丸)、南曲輪等にわかれ、曲輪を囲む土塁に杉や 松が植えられていたが、現在は、この姥杉1本だけが残っている。 市役所、県合同庁舎敷地が三之曲輪に含まれ、市役所正面玄関付近に、 大手門や太鼓櫓、後に子弟の教育の場であった立生館(りゅうせいかん)が置かれた。 (水沢市の案内板より・絵図も)
市役所(三の丸跡) 合同庁舎(三の丸跡) 冠木門(外側から)
この日は、夕方にもかかわらず駐車場が開いてて助かった〜(^^;) しかも丁度1台分空いてたし!ラッキーだった(^^)
冠木門(内側から) 姥杉&土塁 姥杉
ここに、城の事を知っている姥杉1本だけが残っているなんて、 凄い!これからも頑張って居続けて欲しいなぁ(^^)
武家屋敷 八幡家(やはたけ)
武家屋敷八幡家は、代々留守家に仕え、幕末には 八幡市之丞が留守家の御小姓頭を勤めていた。 この地域は江戸時代には「広小路」とも呼ばれた ところで、大手門から東にのびる「大手小路」には 家老や御一家などの重臣屋敷が置かれていた。 屋敷内には、明治初期に建てられた和洋折衷の 数寄屋風の母屋をはじめ、土蔵、板倉などがある。 門から見える母屋玄関は、武家住宅にはみられない 唐破風をつけているが、式台の奥に舞良戸とよばれる 板戸があり、江戸時代の武家住宅の特徴的な構造を 受け継いでいる。この屋敷は、明治14年(1881)の 明治天皇行幸の際に、随行員の宿舎となった 建物でもある。(水沢市の案内板より)


■水沢城
市役所にある姥杉は昔からのものだそうで、なかなかの存在感♪ 他、冠木門や説明板、付近には武家屋敷があって、昔を 感じさせてくれる(^^)

(←所々にある。鳥や花の絵がかわいい♪)

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