かごしまけん かいがらさきじょう
■貝殻崎城=見学自由
■阿多貝塚
駐車場=無料駐車場。
2012/5/2現在
住所=南さつま市金峰町宮崎
この時は、国道270号を北上し、県道20号との宮崎交差点を過ぎて、進んでいくと、
左側に城址碑の立つ城跡がある。
ちなみに、道の駅きんぽう木花館から国道270号を南下した場合、岸本川を渡って右側にある。
【左】城址碑に、小泉純一郎書と書かれててビックリ(@@;)
平安時代の終わり頃、駿河国の武士鮫島四郎宗家は、源頼朝による平家追討の戦いで活躍する。 その功により、頼朝が征夷大将軍となった建久3年(1192)阿多郡の地頭に任じられる。 貝殻崎城は鮫島氏の本拠として、阿多郡統治の中心となった場所である。 当時の阿多郡は交易の一大拠点であり、鮫島氏も対外貿易に関わっていたと考えられる。 浦之名にあった大寺院観音寺の管理も行った。 南北朝時代になると、鮫島氏は南朝方に立ち、島津氏等と争った。 その後も鮫島氏は反守護の立場を保つが、応永27年(1420)ついに島津氏の家臣となる道を選ぶことになった。 (説明碑より)
【左】写真奥の看板の所が駐車場入口。
貝殻崎城のすぐ近くにある貝塚。
南九州では珍しい縄文時代前期(約5・6千年前)を主体とする貝塚で、昭和初期に三森定男、寺師見国らによって確認された。 昭和53年(1978)町教育委員会によって発掘調査が実施された。その結果、貝層より轟(とどろき)式土器、曽畑(そばた)式土器のほか、 阿多V類と呼ばれる新しい土器が出土したのをはじめ、けつ状耳飾り、石斧、石匙、猪、鹿の骨が発見された。 その他、弥生時代の竪穴式住居跡や甕、棺、古墳時代の遺物などが出土している。(南さつま市教育委員会の案内板より)
貝殻崎城 2012.5.2記
走行中、偶然見つけた城跡♪通り過ぎたけど(笑)ちなみに、駐車場もあるから安心。 さて、立派な城址碑に、小泉純一郎書と書かれてるから、え?あの? とビックリしてしまった(笑)裏側辺りに、お墓があるので、 近付くのもどうかと思ったので、城址碑の裏を見なかった。 後で調べてみると、鮫島城と書いてあるんだとか。見ればよかった…(T_T) ちなみに、道の駅きんぽう木花館から歩いてすぐの歴史交流館 金峰の手前(川沿い)に、 地図+観光案内がたくさん書かれた案内板があって、貝殻崎城の位置も分かる。