かごしまけん うえやまじょう
■上山城=見学自由
■城山公園
駐車場=無料駐車場
(写真)ドン広場。
2012/5/1現在
住所=鹿児島市城山町
この時は、鹿児島(鶴丸)城の次に向かったので、
その跡にある歴史資料センター黎明館沿いの国道10号を北東へ進み、城山入口信号を左折。
次の信号で城山展望台の案内があるので、それに従って進み、西郷隆盛洞窟の前を通り、
城山公園トンネルをくぐって駐車場へ。
現在地の表記部分が展望台、その上方がドン広場。
城山は、鹿児島市街地にせり出した高さ107mの丘。 姶良(あいら)カルデラの外輪山の一部とされ、その殆どが火山噴出物のシラスからできている。 高さ数千mにも達する噴煙を上げる桜島を真正面に、晴れた日は南に開聞岳、北に霧島連山がそびえ、 鹿児島市街地、錦江湾を一望する雄大な眺めは、鹿児島第一の展望と称えられている。 城山と言えば西郷さんと言われるほど西南戦争の激戦地としての印象が強い城山。 明治維新の英雄・西郷隆盛をはじめ桐野利秋、別府晋介ら多くの薩軍将兵が壮烈な最期を遂げた明治10年(1877)の出来事は、 あまりにも有名な歴史のこまとして語り継がれている。 更に歴史をたどると、中世南北朝時代に上山(うえやま)氏がこの山に城を築き、 以来、島津氏の治世になっても山城として守護にあたった事が、ドン広場の土塁や空堀跡からうかがえる。 (案内板より)
【左】正面に西郷隆盛銅像、その上が城山。
【真ん中】上山城へ向かう北側の道から。下には、JR日豊本線。
【右】城山公園トンネルを抜けて、駐車場へ。
ここへ向かう道中、西郷隆盛洞窟がある。(見学せず)
「ドンが鳴った、ヒィ(昼)がなった、メス(飯)食(た)ぶろ」と大正時代を鹿児島で生きた人は囃すそうである。 「ドン」とは明治30年以来、正午の時報がわりに撃たれた空砲の音のこと。 当時は市役所の職員が、時計とにらめっこをしながら、正午キッカリに点火、その瞬間「ドーン」という轟音とともに、 紙の弾が破裂、あたり一面に紙吹雪が舞い散った。 ドンが撃たれたことから「城山ドン広場」と呼ばれた。 この一帯は、島津氏入府以前の豪族、上山氏の城(砦)のあった場所で、周辺の土塁が、今もその名残をとどめている。 さて午砲ドンは、昭和12年、市役所のサイレン時報にその役目を奪われたが、 終戦後「サイレンを聞く度に、空襲警報を思い出してゾッとする。やめてほしい」 という声が相次ぎ、サイレン時報の中止が決まると、今度はお午にドンの復活を望む声が殺到したということである。(鹿児島市の案内板より)
【左】1番上と同じで、周囲に土塁が見られる。
【真ん中】土塁(^^)
【右】城山ドン広場から展望台へ。
【左】展望台。写真真ん中の石段を上がると、右の写真。
【真ん中】展望台からの桜島。この時は雲でかくれんぼ。
上山城 2012.5.1記
駐車場へ向かうと、思ったより車がいてビックリ。たまたま1台空いたから良かった…(^^;)
と安心したのも束の間、だんにゃの財布が無い!!どうしよう!?と焦ったけど、無事に見つかった(^^;)
良かった…。さて、駐車場からすぐの城山ドン広場では、土塁が見られた♪
展望台は、桜島が見えるスポットらしいけど、残念ながらかくれんぼ(^^;)
というか、この時は灰が凄くて(@@)ちなみに、見学時間は約10〜15分。
(写真)桜島フェリーから。鉄塔より左側が展望台付近。