石川県 尾山神社 |
■尾山神社=見学自由 駐車場=? (2008.7.26現在) ※前田利家と妻まつを祭る。 社殿には利家が愛用した武具や刀などが納められている。 和洋折衷で3層の珍しい神門は、最上階に 五彩の鮮やかなギヤマンがはめ込まれている。 |
住所=金沢市尾山町11-1 北陸自動車道金沢西I.Cから県道25号を東へ進み、 野町小路交差点を左折、犀川大橋を超え、国道157号 を走って尾山神社交差点へ。 金沢城から歩いて行ったが、歩けなくない距離。 |
前田利家公像 | ||
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■前田利家…織田信長に仕え、若くして多くの戦功を
あげた利家が、金沢城へ入城したのは天正11年(1583)。
初代加賀藩主となり、加賀、能登、越中(現在の石川・富山)
を統治し、金沢城を大改修する等加賀百万石の礎を築いた。
加賀藩は2代藩主利長の時代には120万石という大藩となり、
以後14代にわたって栄華の時代を刻む。
■母衣「ほろ」について… 流れ矢を防ぐ為に、鎧の背にかけた布の事を言う。 その後時代の推移により、風に膨らんだ形を示す為に、 竹串、クジラの骨類、ひげ等を骨組みに入れるようになり、 これを母衣と呼んだ。 戦国時代(1560年頃)に騎馬武者は、 これを背に戦場を駆け巡り、連絡の役を務めた。 このような騎馬武者を母衣衆と呼んだ。 織田軍団の母衣衆は、佐々成政を筆頭とした十人の黒母衣衆 と、前田利家を筆頭に9人の赤母衣衆とで合計19人だった。 そして、戦闘となれば、諸隊のガイド的役割もあり、 敵にとって目に付きやすく、大変危険でもあった。(案内板より) (2枚=2004.5.1撮影) |
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お松の方の像 | 東神門(二の丸の門) | |
利家と違って、石像なんだなぁ。
(2004.5.1撮影) (真ん中&右=2008.7.26撮影) |
桃山風御殿様式の唐門で、宝暦9年(1760)の大火で、 金沢城の大半が焼失するも、彫刻された二頭の龍が水を呼び、 類焼を免れたと言い伝えられている。 彫刻は1本の釘も使用せず、名工の作とされるも、作者不詳。 (案内板より) | |
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