こうちけん みやののばんしょ
■宮野々番所=見学自由
駐車場=駐車無し
2015/7/1現在
住所=高岡郡梼原町宮野々
この時は、国道440号と国道197号との分岐を南下、
トンネル手前の分岐で県道26号へ右折。
梼原小学校・中学校の北側を走って、そのまま直進。
坂本龍馬脱藩の道、茶堂(川西路)、梼原町龍馬の森(二十二世紀の森)の案内を見つつ、
維新トンネルをくぐって、県道2号へ抜けた。
その後、県道2号を北上し、右側に案内板があるので、そこを右折。
突き当りを右折、すぐ左側が宮野々番所跡。
(※案内板から車で向かうと狭いし、通り抜け出来ないので徒歩の方が無難。)
この番所は、寛永6年(1629)に始まり、宝暦時代から明治初期まで、 片岡氏が世襲出番役人を勤めた。当時は、県境の九十九曲峠経由で、 土予の交通の要所であった。番所前の川岸には、橋つなぎの大きな榎が今も残っている。 現在の建物は、昭和35年(1960)改築されたもので、片岡氏の居宅である。(案内板より)
【左】県道2号を北上すると右側に説明板と龍馬のイラストの案内板(真ん中の写真)が立つ。
そこを右折、突き当りを右折、左側が宮野々番所だけど、道が狭いし、通り抜けできなかったので徒歩がいいかも。
【右】県道2号からの宮野々番所跡。
【左】宮野々番所跡の石垣。ちなみに、この道を正面に進んでも、通り抜けできないので注意。
【真ん中】石垣前の「宮野々関門跡、土佐勤王志士脱藩の地」「あの人に電話でしらす土佐の旅」と書かれた看板。
【右】宮野々関門跡の碑。奥に説明板も立っていた。
■ここから下は…
宮野々番所へ向かう道中(県道26号北側から県道2号へ抜ける道)の見所を順番に紹介。
【左】県道26号北側から県道2号へ抜ける道に入ってすぐのガードレールの所に、
「本龍馬脱藩の道」の案内板があり、写真右斜めに茶堂がある。
【真ん中】アッ!茶堂だっ!と慌てて撮影(^^;)
【右】建物の壁に神楽の絵が描かれていた(^^)
■茶堂(川西路)…藩政時代からあり、現在町内に13棟保存されている。 建物は、2間(約3.6m)に1間半(約2.72m)位の木造平屋建、 茅葺屋根、板敷きの素朴な形式である。 木像、石像等を安置して諸仏を祀り、津野氏の霊を慰め、 航路の人々に茶菓の接待を地区民が輪番で行い、信仰と心情と社交の場として、 麗しい役割を果たしてきた。現在も行っている所もある。(案内板より)
【右】写真右端が維新トンネルの東側の出入口、 その左側に休憩所(遠くからだと四阿に見える)、ガードレールの所に梼原町森林組合の案内板が立つ。 写っていないけど、写真手前側には、坂本龍馬のイラストが描かれた案内板が立つ。
大越山梼原町営林
(8.64ha=FSC認証森林)
昭和60年(1985)梼原町は、健全なる森林が人々の生活に不可欠な「水」
そして「文化」を育むとの基本認識に立ち、今後の町の進むべき方向を示す梼原町総合振興計画
「森と水の文化構想」を策定し、以来森と水の文化のまちづくりに取り組んでいる。
梼原は、近代日本の夜明けの為活躍した坂本龍馬を始めとする維新の志士たちの脱藩の地である。
一世紀の時を経た今なお、人々に感動を与え続けている坂本龍馬の生誕150周年にあたり、
また、国際森林年でもあるこの記念すべき年に、森林の健全な育成による四万十川清流の保全を願い、
ここ大越町有林を「龍馬の森」と命名した。
私達はこの森を「森と水の文化のまちゆすはら」のシンボルとして、
二十二世紀を展望し、龍馬生誕300年(2135)まで、大切に育てて行くことを誓う。
昭和61年11月15日 梼原町長 中越純一(案内板より・地図も)
県道26号北側から県道2号へ抜ける道にある維新トンネル。
【左】トンネル東側出入口手前に、龍馬の森がある。
【右】こちら側は振り向きバージョン(^^)ちなみに西側は、正面を向いている。写してないけど…。
宮野々番所・他 2015.7.1記
宮野々番所へ向かう道中も見所があるから素通りするのが勿体なくて、ついつい写してしまった(^^) 宮野々番所は、すぐそばまで車で行き、横着して助手席から写すと近過ぎてうまく撮れず(笑) とりあえず、そのまま直進で抜けようと進んだら通り抜け出来ず、バックする羽目に…。 県道2号からの遠景は、手前の草が凄かった(^^;)