こうちけん にらがとうげ
■韮ヶ峠=見学自由
■坂本龍馬脱藩の地
駐車場=駐車スペース
2015/7/1現在
住所=高岡郡梼原町井高
県道379号の高知と愛媛県の県境。
案内板をクリック→拡大。
幕末の英雄坂本龍馬は同志澤村惣之丞とともに、文久2年(1862)3月24日高知を出奔し25日に梼原に到着、 その夜梼原の勤王の志士那須俊平・信吾父子の道案内により、宮野々番所を抜け、 四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて予土県境・韮ヶ峠を超えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。 信吾は韮ヶ峠より引き返したが、俊平は同行し、小屋村(旧野村町) 水ヶ峠(旧河辺村)を経て泉ヶ峠(旧五十崎町)に宿泊、 27日、宿間村(旧五十崎町)に着いた。俊平はここから引き返した。 龍馬、惣之丞は船便にて長浜町へ、その夜冨屋金平衛宅に泊まり、 28日船で2日を要して三田尻(山口県)へ到着した。 また梼原町の大庄屋・吉村虎太郎を始めとする勤王の志士十余名は、 宮野々番所より西方の九十九曲峠を越えて脱藩していった。 韮ヶ峠脱藩志士(坂本龍馬 澤村惣之丞)(案内板より)
【左】坂本龍馬脱藩百五十年記念歌の歌碑も立つ。
【真ん中&右】真ん中の写真に写る案内板が、右の写真。
【左&真ん中】韮ヶ峠の碑。「龍馬になれ!!」の面も…(^^;)
【右】坂本龍馬越境の地点が、50m先にあるという案内板。
「龍馬が、土佐人から日本人になる第一歩を記した国境に、
一歩足を踏み入れてください。あなたの内に何かがみえてきます。」
…なんだか深いな。
【左】道路でよく見かける「維新の道 坂本龍馬脱藩の道(韮ヶ峠)」の案内板と、
坂本龍馬のイラストに「坂本龍馬脱藩の地 韮ヶ峠」と書かれた大きな案内板。
こちら側は背中バージョン。
【真ん中】愛媛側から見ると正面バージョン。
【右】直進が県道379号。
【左】愛媛と高知県の県境にある坂本龍馬脱藩の地の碑(真ん中の写真)。車道に境界線と脱藩者4人の足跡がある。
【右】真ん中の写真の「脱藩・維新”第一歩の地”」の看板。
【左】高知側からだと左側にある碑。
【真ん中】左の写真側の道路。こちらは、愛媛へ向かうバージョン。
【右】坂本龍馬 脱藩の地の碑の下側。手前のオレンジ色の足跡は戻っているから、那須信吾かな?
【左】韮ヶ峠から坂本龍馬 脱藩の道への道の所に、案内板が並んでいた。
【真ん中】「風雲児 坂本龍馬 脱藩 維新の道 第一歩の地 韮ヶ峠」の案内板。
【右】覚書の解説の案内板。
【左】脱藩の道方面にある土居家の案内板。写真中央に見えるのが、脱藩の道の案内板。
【真ん中】「山火事防止。タバコの投げ捨て 火事の元!」困り顔の山と兎のビックリ顔が可愛い。
【右】イノシシが可愛い!
【左&真ん中】坂本龍馬 脱藩の道。草で見えないけど、この下に道があったのかな…(^^;)
【右】上の道の「危ないぜよ!!脱落者 飛び出しの恐れあり」の看板。粋な看板だな〜♪
韮ヶ峠 2015.7.1記
峠だけに駐車場が気になったけど、スペースがあるので一安心(^^) ただ、雨が降る中、車を置いてポテポテと県境まで行くのは少し面倒だったけど(^^;) それにしても、脱藩の地点に自分がいると思うと、不思議な感じ。 車が通らないし、雨が降るし、静かだった…。ちなみに、見学時間は約10分。