トロとまったり・tripのページ(水俣城)

熊本県 水俣城

くまもとけん みなまたじょう

■水俣城=見学自由
■城山公園
駐車場=無料駐車場

2012/5/3現在

住所=水俣市古城1丁目
この時は、国道3号と国道268号との古城信号で、国道268号へ南下、トンネルを抜けて、古城3丁目信号を右折。突き当たりを右折。 そのまま進み、中尾山公園の案内がある信号を右折。少し進むと左に加藤神社で、その先の右側に城山公園の駐車場がある。

水俣城

水俣城は、いつ誰が築いたものか分からない。通説では、治承5年頃(約800年前)水俣四郎が、砦を築いたのが最初とされている。 南北朝時代には名和長利の孫、顕興の家来、本郷家久が南朝方として居城したという。それ以後は、球磨の相良氏の支配となる。 天正7年(1579)8月、島津家は伊勢守忠春を大将として、1800余騎をもって、水俣城(城代深水三河守)を攻める。
秋風にみなまた落つる木の葉かな
寄せては沈む月の浦波
水俣城攻防戦は、この歌で有名になった。
天正9年島津氏は大軍を率いて、水俣芦北地区に侵入した。 難攻不落の水俣城(城代犬童美作守)も、ついに落城、それ以来水俣は島津領となり、地頭が派遣された。 天正15年(1587)秀吉の西征によって水俣は豊臣家の直轄地とし、深水三河守に預け以後は、寺沢志摩守領と変わり、 慶長6年(1601)から加藤清正領となった後、中村将監正師が城代として派遣された。 慶長17年(1612)の幕命により、水俣城は、宇土、矢部城とともに取り壊され、その雄姿を消した。(水俣市教育委員会の案内板より)

駐車場
城山公園
城址碑

【左】駐車場から見ると意外と小高い。
【真ん中】写真右側が、1番上の写真。
【右】説明板の下に、城址碑。

神社付近

【左】左側の土塁に、石が見られた。
【真ん中】左の写真右側。発掘調査?
【右】神社へ。ここにも土塁に石が。

神社を上から
ベンチ
景色

【左】神社内の井戸跡を見なかった。…もしかして、あの白いやつが標柱!?
【右】九州新幹線の高架が見えた。

発掘調査中?

【左】いい感じの石♪
【真ん中】かなり本格的。何かの跡かな
【右】真ん中の写真の奥が、神社の下側。

加藤神社

【左】水俣城代中村将監直筆の加藤清正公霊碑や加藤清正公木造がある神社なんだそう。
【真ん中】加藤神社から城山公園。
【右】城山公園の駐車場側から加藤神社(大きな木がある所)。

水俣城 2012.5.3記

2段くらいの石垣、土塁の中の少しだけの石積み、石…という感じで、城跡を若干感じさせてくれた(^^;) 時々、発掘調査をしているのかな?という所があった。そういえば、肝心の井戸跡を見なかった…(^^;) 機会があれば、見たいなぁ(^^)ちなみに、加藤神社も含めて、見学時間は約12分。

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