くまもとけん すみよしとうだい
■住吉灯台=見学自由
■住吉自然公園
駐車場=無料駐車場
2010/4/30現在
住所=宇土市住吉町
この時は、国道57号を西へ進み、「住吉自然公園」や「あじさい園」の看板に従って右折(押しボタン式の信号あり)。
時計回りで海岸沿いを進んで行くと、右側に鳥居があって、ここが灯台への登り口。駐車場は、鳥居の先の右側にある。
住吉灯台は、肥後細川藩6代藩主細川宣紀が江戸参勤の為、山口県周防灘を航海中に暴風雨に遭い、 住吉神社を遙拝して難を免れたお礼に、享保9年(1724)この地に高灯籠を寄進したのが始まりといわれている。 この高灯籠は、高さ約10mの石積みの上に引きの強い和紙で囲いをして、その中で胡麻油を燃やしたもので、その胡麻油は藩より支給されていた。 長い年月毎晩御神灯として点火され航海の目印となっていたが、廃藩によって胡麻油の支給が無くなり火は消え、明治の初期に石積みが破損した為、取り壊しとなった。 昭和8年にコンクリート造りの高さが地上22.1m(地上から灯火中心まで20.0m)の灯台が建設され、その後昭和60年12月に現在の灯台に改築された。 高さは17.0m(地上から灯心まで16.6m)で平均水面から39.7mに灯火がある。 灯台がある小高い山頂の住吉神社は、肥後の国司であった菊池則隆が海上安全の祈願所として、摂津住吉宮に詣でて大神の分霊を奉り建立された。 有明海から緑川を通り熊本に入る上での玄関口として、この地は海上航路の要衝であった事が偲ばれる。(宇土市商工観光課の案内板より)
伊勢物語、枕草子にも詠まれた著名な島で、たばこ島・はだか島とも呼ばれている。
約千年も前に、この小さな島が都までその存在を知られていたのは、当時の交通手段が殆ど船であったということに理由があるようである。
都から熊本に国司などが派遣され入国する場合には、瀬戸内海から玄界灘を通って東シナ海に入る海路を通ったと考えられる。
有明海から緑川を通り、熊本に入る航路の目印となったのが緑川河口のたはれ島で、海からの玄関口になっていた。
枕草子を詠んだ清少納言の父親清原基輔は肥後国司として派遣されている。
島の大きさは、東西約65m、南北約40mで、高さは9.4mである。頂上には高さ1.3mの小さな鳥居が建っている。
平安時代につくられた伊勢物語の枕詞として「たはれ島」が使われている。
男女の色恋に関する話に用いられたもので、女の返し言葉の中に、「たはれ島」が出ている。
昔、男、筑紫までいきたりけるに、
「これは色好むといふすきもの」
とすだれのうちなる人(女)のいひけるをききて、
男、返し、
染川を わたらむ人の いかでかは 色になるてふ ことのなからん
女、返し、
名にしおはば あだにぞあるべき たはれ島 浪の濡衣
きるといふなり
(宇土市商工観光課の案内板より)
住吉灯台 2010.4.30記
国道に、住吉自然公園の案内があったので、分かりやすくて一安心(^^) 灯台への登り口も駐車場からすぐだったのでラクラク♪ ただ、灯台の台座が物凄く大きくて(^^;)木で隠れてしまって、なかなかいい感じに写せず…(^^;) この付近から見えた、有明海のたはれ島は、伊勢物語、枕草子にも詠まれた島なんだとか! 当時と同じ島を見ているなんて、凄いかも!