くまもとけん たかばじょう
■竹迫城=見学自由
(別名=合志城・上庄城・蛇尾城…じゃのお)
■蛇ノ尾公園、竹迫城跡公園
駐車場=無料駐車場
※芝生広場の南側のPの利用時間は7時〜19時。
2010/4/30現在
住所=合志市(こうしし)上庄
この時は、亀尾城の見学後だったので、県道138号をひたすら南下。
道なりに進むと(途中、標柱あり。)、左側に公園の案内図と駐車場がある。
その駐車場横の道を「蛇ノ尾公園」の案内板に従って進む。
小さい案内板をクリック→拡大。
竹迫城は、建久年中(1190〜1199)に合志郡の地頭職となった中原師員(もろかず…竹迫氏初代)によって築城されたといわれ、
永正7年(1510)に、15代竹迫公種(きみたね…久種)が大友氏に従い、豊後に移るまでの約320年にわたり竹迫氏の本城だった。
その後、永正8年(1511)には、合志高岑(たかみね)が池上城から竹迫城に移り、名称を合志城と改め、5代約80年間城主をつとめた。
この竹迫氏・合志氏時代の約400年を通じ、竹迫城は肥後北部の政治・軍事上の拠点として重要な位置にあり、
南北朝時代には菊池氏・阿蘇氏と対立、戦国時代には大友氏・龍造寺氏・島津氏の争点となった。
このように中世の全期間を通して重要視された竹迫城だったが、
天正13年(1585)9月に、薩摩の島津氏の侵攻により落城した。
現在は城跡を残すのみの竹迫城だが、当時は東西方向に延びる丘陵の背を巧みに利用した要塞堅固なものであったようである。
また、城跡の中心地と伝えられる城山の最高所には楕円形の平坦地(直径54m・短径28m)があり、
周囲には大規模な土塁と空堀が確認でき、県下でも有数の中世城跡として高い評価を得ている。
平成2年にはこのような中世城の特色である土塁や空堀を残して整備がなされ公園化された。(合志町教育委員会の案内板より・絵図も)
【左】ここの駐車場だと遠い…。
【真ん中】というわけで、左の写真奥の道へ。
【右】進むと、左側に城址碑と入口。
【左】本丸にも城址碑がある。
【真ん中】奥の案内板前に腐った城址碑が…。
【右】井戸跡は多分この下の方…。
【左】入口広場側から南へ。正面がP。
【真ん中】芝生広場の南側の駐車場。
【右】高い土塁と孟宗竹林の間を進む。
【左】こちらの道は芝生広場の東側。
【真ん中】何の曲輪だったのかな?
【右】こっちは西側。空堀っぽい道。
【左】1番最初の写真もここから。
【真ん中】石碑の裏側も素敵な広場。
【右】ポツポツ見えるのは井戸跡。
【左】深い空堀に高い土塁!左側が本丸方面。
【右】本丸側から竹迫城跡公園碑方面。長い土塁も素敵!
【左】北西に続く空堀と土塁。
【真ん中】左の写真の奥に、堀が見えた。
【右】北側から上がって本丸へ。
【左】北側に、木々に隠れて碑が…。
【真ん中】恐る恐る見ると城址碑だった(笑)
【右】本丸内には、土塁が伸びる♪
【左】見下ろすと高低差が凄い。
【真ん中】本丸と芝生広場の間は坂道。
【右】入口広場側から本丸を見上げて。
竹迫城 2010.4.30記
こんなに大きな空堀や土塁だとは思わなかったので、本当にビックリしてしまった(^^) 本丸内の土塁もいい感じだし、約10分程度で大満足の見学ができた♪