きょうとふ ほんのうじあと
■本能寺跡
現在=高齢者福祉施設・高校・地元施設などの複合施設が建っている。
駐車場=無し
2007/11/22現在
住所=京都市中京区蛸薬師通油小路東入元本能寺南町
(↑高齢者福祉施設の住所を記載)
この時は、東山区方面から府道186号(四条通)を西へ進み、
国道367号との四条烏丸交差点を過ぎて、少しして四条西洞院信号の次の信号を右折。
細い道をそのまま進んで行くと、右側に本能寺跡の石碑があって、
施設の壁(入口付近だったかな?)に、案内板が掛けられていた。
応永22年(1415)、日隆上人が油小路高辻の地に本応寺を創立したが、後に破壊されたので、永享5年(1433)に、六角大宮に寺地を移して本能寺と改称された。 天文法華の乱で焼失したが、天文16、17年(1547、8)頃、第八世日承によって、西洞院と小川との間の四条坊門(今の蛸薬師)の北の地に再興された。 当時は広大な寺域を占め、織田信長の仮宿所となったが、天正10年(1582)6月2に、信長を攻めた明智光秀の兵火にあい、一山の堂塔を失った。 後に信孝が、父信長の廟を建てたために、本能寺は再びこの地に復興を見ることになったが、豊臣秀吉の区画整備により、天正年間に東京極(今の寺町)の三条坊門(今の御池)南の地に移された。 (京都市の案内板より)
【左】建物の前にある本能寺跡の石碑。
【真ん中】施設の壁に掛けられていた説明板。
【右】本能校跡の石碑。
本能寺跡 2007.11.22記
狭い道を通って行くと、本能寺跡には立派な建物が。複合型の高齢者福祉施設だと知らなかったので、一瞬、違うのかと(^^;) 建物横の石碑を写した後、壁に掛けられている説明板を写すも、夕方の5時前だったからピントがなかなか合わず。 撮影中、入口から高校生が出て来るから、なんだか恥ずかしくって、余計にぶれてしまい苦労した(^^;) それにしても、あまりにもきれい過ぎて、ここで信長さんが…。なんて気分はさすがに無かったなぁ。