きょうとふ きゅうにじょうじょう
■京都御苑=入園自由
■二条城(詳細は二条城のページで。)
■平安女学院
【左】平安女学院の旧二条城跡の碑。
2006/9/17現在
住所=【京都御苑】京都市上京区京都御苑
【二条城】京都市中京区二条通堀川西入
二条城町541
この時はまず二条城へ。東から西へ国道1号を走り、府道38号へ右折。
左に二条城が見えて来て、入口に細長く有料駐車場がある。
今回、京都御苑へはそこから歩いて行った。
京都御苑の一隅を含むこの地は旧二条城があった。 ここにある石垣は、地下鉄烏丸線の工事に伴う発掘調査で丸太町上るに埋もれていたのを、発見したもので、もとは南面していたものを、ここに復元したものである。 これと同様なものが烏丸椹木通・下立売通・出水通で発見されており、今も地下に埋もれているのである。(京都市の案内板より)
築城当時、日本において布教活動をしていたポルトガルの宣教師、ルイス=フロイスの記録によれば、旧二条城というのは、現在の二条城以前に、 永禄12年(1569)2月に工事を開始し、常時1万5千人から2万5千人の人役を投入し、70日間程でほぼ全容を整えたということであり、期間を極めて短くする為に、 石垣の石材に近郷の石仏・板碑・燈籠等を徴集し、積み込んだと記載されているが、その通りの石仏などがこの遺構に見られる。 その後、信長は義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、「二条御所」とも呼ばれていた。 天正10年(1582)の本能寺の変において明智勢に攻めいられ、信長の長子、信忠が自刃し城郭建築は焼失した。 この石垣は、京都市高速鉄道烏丸線(地下鉄)建設に際し、烏丸下立売から発見されたものである。 石垣は「犬走り」をはさんで上下二段に分かれて北面し、東西方向に走り、東南方向に折れる角を持つ。 この遺構は移築に際し方向が90度ほど変わったが、元来は東西方向が長く、8m強を測り、普通の石材約150個の他に40個程の石仏・板碑・礎石が使われている。 (京都市の案内板より)
旧二条城 2006.9.17記
キチンと整備された二条城で、石垣を見つけた時は、物凄くホッとした(^^) 京都御苑でも雰囲気が全然違うし(^^;)それにしても、9月の中旬だというのに、すっごく暑かった〜! 二条城を散策した後で、京都御苑へ歩いて行ったけど、暑さにやられて疲れ果てた(笑)