トロとまったり・tripのページ(田辺城)

京都府 田辺城

きょうとふ たなべじょう

■田辺城(別名=舞鶴城…ぶかくじょう)=見学自由
■舞鶴公園=入園無料
■田辺城資料館(城門の2階部分)=無料
開館時間=9時〜17時
休館日=毎週月曜(祝日の場合、翌々日、祝日の翌日、年末年始)
駐車場=有料駐車場

2006/9/15現在

住所=舞鶴市字南田辺15-22
この時は、国道27号を福井県から舞鶴市へ進み、 赤レンガ倉庫群を過ぎて少しすると、国道27号が大手信号で左折になるけど、 その手前の三の丸(だったはず)信号を左折。進んで行くと、左に有料駐車場。

田辺城

田辺城は舞鶴城(ぶかくじょう)とも称され、その築城は戦国群雄のなかで智将であり、歌聖といわれた細川藤孝(幽斎)が、 天正8年(1580)8月、織田信長により丹後国をあてがわれ、子忠興と共に縄張りした事に始まり、天正10年代に完成したといわれている。 慶長5年(1600)7月、石田三成方1万5千騎の大軍に攻められた幽斎は、僅か5百人の兵で田辺城に籠城して50余日を戦った。 古今和歌集の秘伝の継承者であった幽斎が、八条宮智仁親王の使者に古今相伝の箱に和歌一首を添えて献上した、世に言う古今伝授は籠城のさなかのことである。 その後、忠興は関ヶ原合戦の功により豊前中津に加封され、代わって京極高知が入国、元和8年(1622)高知の遺命により丹後国を三分し、庶子の高三が城主となって、3万5千石を領し田辺藩が成立した。 寛文8年(1668)京極氏が但馬豊岡に移封のあと、牧野親成がこれに代わり、以後牧野氏が明治2年(1869)の版籍奉還まで代々田辺藩主として在城した。 城は、細川氏の築城後、京極氏、牧野氏が拡張・改修を行い、ほぼ現在の舞鶴公園地に当たる本丸を、二の丸・三の丸・外曲輪とそれぞれの堀が囲む輪郭形式の平城として整備され、 さらに東の伊佐津川、西の高野川、南の低湿田、北の湾海は総堀としての役割をはたした。 なお、舞鶴の地名は、明治2年に藩名が城号をとって舞鶴藩と改称された事に由来している。(舞鶴市の案内板より)

【左】案内板の写真をクリック→拡大。

城門

大きい!隅櫓と一緒に写そうと思うと何かが入る。隅櫓前の看板も邪魔だし…(^^;)
【左】隅櫓(彰古館)と城門。

城門の2階部分は田辺城資料館展示室で、無料だった!パンフも置いてあって便利♪
【左】城門の外に見えるのは警察署(^^;)
【真ん中】彰古館から城門を。
【右】復元模型。

彰古館(しょうこかん)

山中丹治氏設計、有本国蔵氏の寄附により建設された。

外から見るよりも、内側の方が好きだな〜(^^)

本丸

【左】本丸を見渡して。
【真ん中】ここの公園は、ベビーカーを押す様なママさん達が多かったなぁ。
【右】土居跡。

天守台跡

正面の石垣は、平成2、3年度に行われた発掘調査により、田辺城本丸の西端に位置する天守台の東側石垣と確認されたものである。 天守台の規模は、東西約21m、南北推定約31m、基底部からの遺存高約4.5m、その平面形状は北東部に入角を持つ長方形である。 石垣は、自然石や荒割石を用い、その隙間に小石を詰めた、いわゆる古式穴太積み技法によって積まれている。 この技法は、織田信長の安土城や豊臣秀吉の大坂城の石垣に見られることから、細川藤孝(幽斎)・忠興父子が天正年間(1573〜1592)後半期に築城した当時の遺構である事が判明した。 さらに、石垣の基礎部には、天守台の周囲が水堀であったことを示す胴木も確認された。これらのことから、この天守台の遺構は、 水堀をともなう最も早い時期の平城の遺構として、我国の城郭史上極めて重要なものであることが明らかになった。(案内板より)

【左】天守台。
【真ん中】天守台の石垣。
【右】天守台付近から東屋を。

本丸・石垣

長〜い石垣があるとは思わなかったので、「えっ!あるんだ〜♪」って嬉しかった(^^)
【右】本丸石垣とあやめ池。

二の丸・石垣跡
二の丸・石垣跡
田辺城跡の看板

線路側に、二の丸の石垣がある(^^) 草に隠れつつも見える石垣は、昔を感じさせてくれてなかなか素敵。

二の丸・石垣展示
二の丸・石垣展示
大手門跡

【左&真ん中】地図の赤の部分の関西電力に、二の丸石垣が展示してあった(^^)
【右】地図で見るとこの付近かな?

明倫館「現明倫小学校」( 白壁&明倫館の門 )

牧野代(天明年間)藩校明倫斎として創立。文久年間に明倫館と改められ、明治5年の学制の頒布により明倫校となる。現存する校門が当時を偲ばせる。 明倫とは孟子勝文公篇の一説『庠序学校を説為して以って之を教う(伝々)皆人倫を明らかにする所以なり』(人の道を明らかにして教え導く学校の意)より名づけられた。(城下町倶楽部の案内板より)

二の丸(舞鶴西総合会館)
二の丸(舞鶴西総合会館)
有本国蔵翁像

この碑の位置は本城の二の丸最北端部を巡る堀跡で、舞鶴西総合会館の建設に伴う発掘調査により確認されたもの。(碑より)

【左】この近くに、有本国蔵翁像がある。
【右】彰古館建設に寄附をした人(^^)

田辺城 2006.9.15記

隣りの有料駐車場に駐車し、田辺城の散策開始♪まず、城門の大きさに圧倒される! 普通のレンズでは難しいくらい(笑)城門の2階部分は展示室で、無料で見学出来た♪ 他、天守台、本丸の石垣、二の丸の石垣も見る事ができて、大満足〜(^^) 説明板が、あっちこっちあって、それを探し出すのも楽しい。その後は近辺を散策、名残を楽しんだ。

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