トロとまったり・tripのページ(淀城)

京都府 淀城

きょうとふ よどじょう

■淀城=見学自由
■淀城跡公園=入園自由
駐車場=有料駐車場(駅横のコインPが1番近い)

2006/11/25現在

住所=京都市伏見区淀本町
この時は、名神高速道路 大山崎ICを左の京都方面の国道171号へ下りて、府道204号との勝竜寺交差点で、淀へ右折。 桂川を渡って、府道13号との交差点を過ぎて、真っすぐ進み、線路を渡る前の路地を右折、淀駅へ。(道が狭いので注意。) 淀駅に到着したら、淀駅の右側の見えない所に、コインパーキングがあったので、そこを利用した。

淀城の由来

徳川2代将軍秀忠は、元和5年(1619)の伏見城の廃城に伴い、新たに桂川・宇治川・木津川の三川が合流する水陸の要所であるこの淀の地に、 松平越中守定綱に築城を命じて、元和9年(1623)に着工、寛永2年(1625)に竣工した。 翌寛永3年、秀忠・家光父子が上洛の途次にはこの城を宿所としている。 寛永10年(1633)国替えにより永井尚政が城主となり、その後、諸大名が次々へと入城したが、享保8年(1723)5月、 春日局の子孫である稲葉丹後守正知が下総佐倉から淀へ移り、明治維新までの100数十年間、この淀城は稲葉氏10万2千石の居城であった。
江戸時代の淀城は周囲に二重三重の濠を廻らし、 『淀の川瀬の水車誰を待つやらくるくると』のうたで名高い水車は直径8mもあり、城の西南と北の二ヶ所に取り付けられていた。 淀城とその城下町の盛観は延享5年(1748)5月2日に来着した朝鮮通信使(将軍への祝賀使節)の様相を写した「朝鮮聘礼使淀城着来図」に詳しくえ描かれている。 昭和62年夏に天守台の石垣解体修理に伴い、発掘調査が伏見城研究会によって行われ、大小の礎石を含む石蔵が発見された。 これは四隅に櫓持つ白亜五層の天守閣の地下室と基礎であり、宝暦6年(1756)の雷火で炎上する以前の雄姿を、偲ばせるものである。 なお、淀君ゆかりの淀城は現在の淀城跡ではなく、この位置から北方約500mの納所にあったと推定されている。(京都市の案内板より)

稲葉神社の祭神と淀藩について

写真をクリック→拡大。

祭神稲葉正成公は、淀藩稲葉家の祖である。 元亀2年(1571)に美濃国(岐阜県)本巣郡十七条の城主、林家に生まれ、長じて稲葉重通の女婿となり、以後稲葉を称した。 ところが、妻の死去により明智光秀の重臣斉藤利三の娘「福」を重通の養女として迎え再婚したのが、有名な「春日局」である。
正成は豊臣秀吉に仕えその命により、小早川秀秋の家老となり5万石を領した。 秀吉の没後、慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の功により徳川家康より感状を受け、のちの松平忠昌に仕えた。 その後、下野国(栃木県)真岡の城主となり、2万石を領したが、寛永5年(1628)江戸において没し、現龍院に葬られた。
稲葉家が淀藩主になったのは、初代正成より数えて5代目の正知の時で、享保8年(1723)下総国(千葉県)佐倉より、10万2千石で入封した。 その後明治4年(1871)16代正邦の時に廃藩を迎えるまで、稲葉家が12代148年間に亘り淀藩主であった。(案内板より)

天守台

【パノラマっぽく加工】駅から淀城へ歩いていると、天守台の横に整備されていない駐輪場が…。

【左】天守台へ。上の石垣を左へ曲がってすぐの入口は封鎖されていたので…。
【真ん中】その奥の石段から天守台へ上がった。
【右】封鎖中の入口を中から。

【左】天守台。公園の遊具を天守台近くに置かなくても〜(^^;)
【右】天守台の1段高くなった石垣。堀がいい感じで残されているのは、嬉しいところ(^^)

天守台の1段高くなった部分。
【左】(パノラマっぽく加工)1段高くなった天守台部分の横の石垣。長いから、パノラマっぽく加工(^^)
【右】こちらも入口が封鎖中なので、扉の間から内部を。

【左】天守台から駅方面。天守台の1段高くなった石垣部分を横から。
【右】駅側から。フェンスがあるので、上から手を伸ばして(笑)

1段高い天守台の横(東側)
本丸
本丸の南側(多聞櫓跡)

【左】結構広いスペース。この奥から↑の写真を写す。 それにしても、外側の淀駅の喧騒が嘘みたいに静かな本丸。

本丸の南側への石段
本丸南西側(隅櫓跡)
本丸南西側(隅櫓跡)

【真ん中&右】隅櫓跡を上からと、下から。紅葉がいい感じに色付いていて、きれい(^^)

礎石
礎石
天守台方面を振り返る

本丸の南側を歩いていると、刻印の入った礎石がコロコロと置かれていた(^^)

内堀と西の丸
内堀と西の丸
本丸から二の丸方面

【左&真ん中】京都競馬場が近い為、会社が休みの駐車場、空き地等が日貸しの駐車場に。
【右】公園の向こうの建物から二の丸?

本丸隅櫓跡(北西)
淀川瀬水車櫓跡
淀城之故址碑

【左】何かと思ったら「明治天皇〜」と書かれた碑。怖いものじゃなくてホッ。
【真ん中】公園を出てすぐの道路の向こう側。
【右】神社隣りの有料P入口付近のもの。

本丸隅櫓跡(北西)・本丸の石垣(西側)と堀

【左】本丸隅櫓跡(北西)。左上の写真の角度を変えて。後ろではお年寄り達がゲートボール中。
【右】本丸の石垣(西側)と堀。こんな場所に、この様な石垣が残っていて嬉しい〜♪

淀城 2006.11.25記

前日の夜、駐車場と淀城の下見…と車を走らせるも、暗すぎて分からない(^^;) しかも淀城近辺の道路は狭く、変な路地にはまると、抜け出すのに一苦労。 が、偶然にも、淀駅の真横にコインパーキングを発見!いい所にあるじゃないの〜♪夜だったから、光ったPが見えたんだよね。 次の日の朝、上で書いたアクセスで来ると、建物で隠れてしまって、駐車場が見えないので、見落としに注意かも。 ちなみに、この駐車場の枠が狭くて、入れるのに大変だった(^^;)近場の唯一っぽい駐車場なので、文句は言えないけど(笑) それにしても、こんな駅の横に、これほどの長い石垣や堀が残っているとは、違う意味で驚き!来て良かった♪

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