伊賀上野城
(右下の写真をクリック→拡大)
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昔、この高台に平楽とよぶ伽藍があったが、天正9年(1581)織田信長軍下の
侵攻にあって焼失した。世に言う「天正・伊賀の乱」である。
この乱後、大和郡山から移って、伊賀国主となった筒井四郎定次は、
直ちに平楽寺跡に城廓を築き、三層の天守を構え、殿門を整え、
城下町の建設に着手した。しかし、秀吉の没後、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ち、
豊臣政権の継承者としての地位を確立するに及んで、家康は慶長13年(1608)、
定次を失政の理由をもって改易、藤堂和泉守高虎が伊予国から移封されて伊賀国一円と伊勢
国安濃津の他、山城・大和の一部を併せて22万石(のち32万石余)
の領主となった。
「津は平城なり。当座の休息所までと思うべし。伊賀は秘蔵の国、
上野は要害の地、根拠とすべし」との家康からの秘命を受け、
筒井故城を西に拡張して本丸をこれに移し、五層の天守を構築した。
当時、戦国武将の中でも築城の名人と
評されていた高虎は、自ら縄張りを指図、目前に迫る豊臣氏討伐戦に
備える為、地山を利用して濠を深くし、30mの高石垣で囲み、
梯郭式の堅固な縄張りとした。
さらに本丸の南に二ノ丸の羅城を郭して東西の大手門を配し、
外濠を隔てて碁目割の地割をもった城下町を設け、領国経済の
策源を図ったその理想は軍事と、経済を兼併する典型的な
近世都市の創出であった。
しかし、竣工直前の慶長17年(1612)9月2日、暴風のため天守閣が倒壊、
そのうち大坂夏の陣で豊臣方が滅亡したのと、いわゆる元和偃武(えんぶ)
以後の武家諸法度によって諸大名の城普請を禁止したので、
この天守閣は再びたてられることがなく明治維新を迎えた。
現在の伊賀上野城(※雅名 白鳳城)は、昭和10年川崎克氏が私財を投じ、
3年の歳月をかけて往時藤堂高虎が築いた基台に木造建築による
模擬復興したもので、伊賀文化産業城と呼んだ。
※雅名=白鳳城…碧緑の上に鳳凰が翼を休める美観に似ているところから。
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蛇谷堀(蛇池) |
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昔この処に薬師の放生池(ほうしょういけ)と呼ぶ大きな沼地があった。
近世のはじめ、伊勢・伊賀22万石余の領主となった藤堂和泉守高虎が
城郭普請をするとき、この沼を利用して東の内堀をつくることになり、
工事に取り掛かったところ、眼はほおずきの如く赤く輝き、長さ二丈に及ぶ
大蛇があらわれた。
里人達の間で「山酸醤(やまさんしょう)」とよばれ、この蛇を見たものは
魅入られて生命を失うと言われていたので、夫役達が集まって殺してしまった。
それよりこの沼を蛇谷とよんだ。伊賀上野崇廣堂の講官服部竹(ちくう)はこの近くに
住んでいたので「蛇谷迂史(うし)」と号したのは有名である。
(上野市の案内板より)
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駐車場 |
駐車場から歩いて… |
芭蕉翁記念館 |
駐車場は無風だったから、余裕で薄着で歩いていたら、
天守閣近くは風は強いわ、雪が降るわで、寒かった(@@;)
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模擬天守 |
どっしりとして、格好いい(^^)
それにしても、なぜかこの辺りは風が強い!
デジカメを持つ手も震えて大変(^^;)
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(左)石段を上がり、緑の縁の門をくぐって天守内へ。
(真ん中)鯱がお出迎え。
(右)天守からの南側の景色。
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天守からの景色。左より東、北、西。
天守内は、藤堂家縁の物や藤堂さんが被ったウサ耳兜等、
いろいろ楽しめた♪
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日本1といわれるだけあって高い!
※2006.3.19のパンフに書かれた
「…とされている」を見て、素直に
信じた感想ね。ある本にも書かれ
ていたけど、専門家じゃないので
真偽はパス。今後、パンフや本の
内容が変更されたとしても、この
時の感想っていうことで〜(^w^)
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内堀付近にいた鴨 |
内堀付近の敷地 |
忍者博物館 |
(左)エサをくれると思ったのか、グァ!と
追いかけられそうになった(^^;)
(右)ピンクの忍者姿のお姉さんが見えた。
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俳聖殿 |
松尾芭蕉の生誕300年を記念して
昭和17年(1942)に建てられた。
上層の屋根は、芭蕉の笠、その
下部が顔を、下層の屋根は蓑と衣を
着た姿で、堂は脚部に、廻廊の柱は
杖と脚を表現している。堂内には
芭蕉の等身大伊賀焼の座像が安置
されている。(伊賀市教育委員会の案内板より)
(左)俳聖殿近くの門。
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城代役所&筒井故城跡 |
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(左&右)ここの石垣もいい♪
でも石垣の状態が良くないのか、
ロープが張ってあった(^^;)
(左下)筒井故城跡。広いここが
本丸で、小高くなった所に三層の
天守閣があったらしい。藤堂氏の
頃は、城代役所。
(下真ん中&右下)天守を(^^)
ここからの天守は、格好いいな。
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上野城跡石碑 |
元禄3〜12年間の上野城跡古図 |
池 |
上野城跡石碑の横に写っている石碑の裏に、
上野城跡古図がある。目立つ所に書いて貰いたいな〜(^^;)
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城内から白鳳門へ出る所(パノラマっぽく) |
池から外へ出るところに残っている石垣。
真ん中の写真に写っているのが、上で紹介した石碑。
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白鳳門 |
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凄く大きな門!だけど、何も
説明板が無かったな〜(^^;)
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西大手門跡 |
西大手門跡がある付近の道路は、きれいに整備されているし、
立派な石碑も立っていて、比較的わかりやすい。
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東大手門跡 |
東大手門跡の石碑は、バス停&公衆電話の
横にひっそりあるから、
車中からだと見落としやすい。
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電車! |
忍者バージョン!さすが伊賀だ!しかも2種類。
前面には正面の顔が書かれていて、迫力ある〜(^^) |
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