三重県 大河内城 |
■大河内城=見学自由 駐車場=市民センターの駐車場 (2006.3.18現在) |
住所=松阪市大河内町城山 (伊勢自動車道 松阪I.C〜県道59号を走り、川を渡って、 国道166号へ右折。そのまま進み、左への県道59号を 過ぎ、九蓮寺も過ぎ、少し走ると右に郵便局が見えてくる。 その手前の細道を(大河内城の看板があるが、見落としやすい) 右折。右に市民センターがあるので、そこへ駐車。後は、 直進し西蓮寺を過ぎて左折。そこから上ると城跡。 ちなみに車で行った場合、西蓮寺を過ぎた道に左折時に2回位切り返し、その後、 車1台分の道を上がると、両側に低い石垣がある地点がある。 これが擦りそうなほど狭く、溝にタイヤも落ちそうだし。 そこを過ぎると、駐車スペースがあった(←人んち?)が、絶対にオススメしない。 |
大河内城 | ||
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城は、北へ突き出た標高110m余りの丘陵突端部に築造されており、 東裾と北裾とを阪内川と矢津川が洗い、西側と南側には深く谷が入って 自然に要害の地を形成している。 応永22年(1415)、北畠満雅(みつまさ)が阿坂城で室町幕府に反旗をひるがえした時、 築城して弟顕雅(あきまさ)を籠城させたという。以後、顕雅の子孫が居城し、 大河内御所を称した。 永禄12年(1569)、織田信長が南伊勢攻略の大軍を発した時、伊勢国司北畠具教(とものり) は本拠を多気(たげ)よりこの城に移し、補強して信長の軍勢を迎えうった。 8月末より1ヶ月余りも戦いは続いたが、北畠軍は利あらず、信長の二男信雄に北畠の 家督を譲る条件で信長の軍門に降り、具教は城を退去した。 天正4年(1576)、信雄は南伊勢を統治する拠点を田丸城に移し、廃城とした。 現在は、本丸跡・二の丸跡・西の丸跡と呼ぶ台状地や平坦な馬場跡、土塁や堀切が 城の面影を残すに過ぎない。(松坂市の案内板より・写真も) | ||
搦手門跡 | 二の丸下の石垣 | 二の丸 |
少し急な坂道を上がっていく。 | 後で造られたっぽい石垣(^^;) | 二の丸にある鳥居をくぐって本丸へ。 |
馬場跡 | 御納戸跡 | 本丸への道 |
歩いて行くと、ポツポツとある跡。 | でも、鬱蒼としているんだよね(^^;) | さて、本丸はどんなんだろう… |
本丸 | まむし谷にかかる木橋 | まむし谷 |
…と思ったらサッパリした雰囲気。 | 木橋には住所が。電柱の木? | 凄い堀切。雨のせいか白く煙る。 |
西の丸に続く道 | この上が西の丸 | 西の丸 |
写真に写していないんだけど、歩いていると 時折、石垣の石が見られる部分もあった。 | ||
■大河内城
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