みやざきけん あまがじょう
■天ケ城(別名=高岡城、内山城)=見学自由
■天ケ城公園(※22時〜8時まで閉鎖なので注意。)
■宮崎市天ケ城歴史民俗資料館=無料
開館時間=9時〜16時半
休館日=月曜(祝日の場合翌日)、年末年始、祝日の翌日(土日を除く)
駐車場=無料駐車場
2011/5/3現在
住所=宮崎市高岡町内山
この時は、国道10号から天ケ城公園の看板に従って進み、
野球場や体育館の駐車場を通り過ぎて、坂を上がった所の駐車場を利用した。
慶長5年(1600)、島津氏第17代島津義弘(1535〜1619)が、久津良名を城地に取り立て、「天ケ城」と命名した山城である。 義弘公は、天ケ城がある高岡を拠点に「高岡」・「穆佐」・「倉岡」・「綾」の4つの郷をあわせて「関外四ヶ郷」として統治し、 薩摩藩東端の防衛の要とした。1615年、一国一城令により廃城となった。 伊東氏四十八城の1つである。(宮崎市教育委員会の案内板より・絵図も)
【左】写真付き案内板。
【右】入口にある案内。
【左】天ケ城公園は広い為、野球場や体育館付近の駐車場にとめず、もっと先へ上がって、さくら広場の横の駐車場へ。
【真ん中】夜間は閉鎖される。
【右】本名は東郷外記(げき)。天ケ城歴史民俗資料館のマスコット(^^)
高岡には、外記どんのとんち話が沢山残るそう。
ちなみに、ライバルは半ぴどん(鬼塚半平)。写真は、お食事中の外記どん。
【左】桜が咲いたら、凄そう!
【真ん中】さくら広場の東側斜面。
【右】丘に四阿。
【左】遊具が多く、子供率が高いので、写すのがドキドキ。
【右】「北の城」の標柱もあり。
【左】北の城と二の丸の間の斜面だったかな?
【真ん中】天ケ城茶屋。いい匂いが漂ってた(^^)
【右】広い二の丸。
高岡町教育委員会は、資料館などの建設に先立ち、平成3年6月〜平成4年9月の間、事前の発掘調査を行い、天ヶ城本丸に伴う建物跡等を発見した。 特に、西側の建物跡は、2つの柵列と巾約4m、深さ約3m、断面V字状の堀に囲まれていた。 そしてまた、その堀の南側を一気に埋め、その上に建物を建てるという、城の造り替えの跡も見つかった。 今回発掘された本丸跡の遺構の一部は、現在、パターゴルフ場の地下に保存されている。(案内板より)
【左】高岡町のシンボルの建物ととして、建てられたもの。でも、凄くいい感じ♪
【右】門をくぐって、資料館へ進むと冠木門も立っている(^^)
資料館の入口のも立派!ついつい、いろいろな角度で写してしまう。
【左】(パノラマっぽく加工)左から東〜南。東側には、大淀川が。
【右】(上)高岡町の花。高岡月知梅。(下)高岡町の木 イチョウ。
右側を見た時「?」だったけど、葉っぱを見て、なるほどと(^^)
郷土愛を感じるベンチ(^^)誰も座っていなくて良かったなぁ♪
【左】(パノラマっぽく加工)西〜北。右の切れ目のある山が飯田城跡。
【右】(上)高岡の景色なのかな?(下)高岡ミカン、高岡キュウリ。
【左】大手門跡。右側に標柱。その横が三の丸の土塁。
【右】なかなか高さのある土塁。
【左】三の丸と土塁。ピンクの花びらで凄くきれい(^w^)
写真の土塁の右側が、大手門跡。ちなみに、三の丸にも標柱が立っている。
【右】土塁を角度を変えて。
【左】展望広場下。正面が大手門跡方面。
【真ん中&右】ポツンと天ヶ城公園の碑。
【左】入口に天ヶ城址の標註が立つ。
【真ん中】ここも三の丸かな?
【右】ここからの眺め。雨で白い…。
天ケ城 2011.5.3記
ここは、標柱が立っているので、とても分かりやすくて嬉しい(^^) 三の丸の土塁に、ピンクの花びらが散っていて、アクセントになってきれいだった♪ 資料館は格好良かったし、展望台からの眺めも良かった。雲行きが凄く怪しかったけど。 館内で、穆佐城・佐土原城のパンフも貰えたのも、嬉しかった♪ ただ、雲行きが怪しかっただけあって、三の丸から駐車場へ戻る時に、雨が…(TへT) 桜の木が茂っていてくれたから、びしょびしょにはならなかったけど…。 さくら広場等に来ていた人達も、急いで避難してた(^^;) ちなみに、見学時間はのんびりと見て回って約45分。