トロとまったり・tripのページ(高城)

宮崎県 高城

みやざきけん たかじょう

■高城=見学自由
■城山公園
駐車場=無料駐車場

2011/5/2現在

住所=児湯郡木城町高城
この時は、国道10号を南下して、都農町三日月原信号で、県道40号を木城方面へ右折。 道なりにずっと進んで、県道40号が左折になる信号を直進の県道19号へ。 (ここで、右の山に展望台の頭が見える。)進んでいき、坂を上がっていくと、 城山公園の入口の看板が出るので、そちらへ。

高城

高城は、小丸川とその支流である切原川に挟まれ、標高60m。 地形は、舌状に細長く伸び台地であり、見晴らしには大変優れた所に営まれた山城である。 この城では、天正6年(1578)、天正15年(1587)の2度にわたり、大合戦があった。 その当時、日向で勢力を誇っていた伊東氏が島津氏に負けて大分に逃げ、親類の大友氏を頼る。 大友氏はこの際、新興勢力の島津氏をつぶそうと、約5万の大軍でこの城を攻撃した。 しかし高城城主・山田新介有信は僅かな兵力でよく防ぎ、とうとう大友軍は大敗した。これを高城川合戦と呼んでいる。 この合戦が原因で、今度は豊臣秀吉の弟、秀長率いる15万の大軍と合戦することになるが、 この時も新介はよく防ぎ、この城は落城しなかった。 これらの戦いは、戦国時代の九州において、最大規模の合戦である。 またこの高城は、その2度の戦いとも落城しなかった難攻不落の名城として、 名将、山田新介有信の名と共に語り継がれている。 城としての特徴は、現在、城山公園として利用されている箇所が、東側の主郭と考えられる曲輪と考えられている。 ここでは、島津氏の家臣であった城主・山田新介有信らが、戦いに備える為の本部として利用していたと考えられる。 また、この城に敵が侵入するのを防ぐ為に、7ヶ所の竪堀が見られるのが特徴である。 平成4年度には、木城町の城山公園整備事業によるメロディー時計台建設に伴い、発掘調査が実施された。 その結果、竪穴状遺構、柱穴、石列等の遺構、土師器、皿、小皿、青磁器、白磁器、陶器等の遺物が確認された。 (木城町教育委員会の案内板より・絵図も)

高城橋
遠景
ゲート(西側)&駐車場

【左】小丸川に架かる高城橋の奥が高城。
【真ん中】ズームで。
【右】ここ第六空堀跡だそう。駐車場は奥にもある。

第五空堀〜第三、第四空堀

空堀は、主郭を見学後なので、公園側から写したもの。
【左&真ん中】第五空堀。
【右】第三(手前)、第四空堀。

第二空堀〜第一空堀跡

第二空堀も、主郭を見学後なので、公園側から撮影。
【左&真ん中】第二空堀。
【右】第一空堀。遊歩道が空堀。

駐車場(奥側)〜主郭(芝生広場)

【左】主郭近くの駐車場へ。
【真ん中&右】主郭(芝生広場)。
【真ん中】遊具がいっぱい。メロディー時計台という展望台もある。
【右】ゾウさん♪

メロディー時計台

【左】存在感がある展望台。 メロディー時計台ってだけあって、何か鳴るのかな?どんな感じかな?
【真ん中】腰曲輪側から。
【右】時計も雰囲気あるもの♪

【左】(パノラマっぽく加工)。展望台からの眺め。気持ちいい。

腰曲輪

【左】主郭南側下の腰曲輪。この上に、メロディー時計台。
【真ん中】メロディー時計台から見下ろして。
【右】見上げて。

高城 2011.5.2記

ここは、車でそばまで行くことが出来るので、ラクラク。展望台からの眺めもいいし♪ でも、空堀の見学は、車中に乗ったままで済ませてしまった(^^;) 対向車も来なかったし(笑)ちなみに、見学時間は約15分。

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