長野県 青柳館 |
■青柳館=見学自由 ■清長寺 駐車場=あり (2009.9.20現在) |
住所=東筑摩郡筑北村坂北 この時は、長野自動車道 麻績I.Cを下りて国道403号 を右へ(松本方面へ)。 ずっと走って高速の下をくぐり、少し先の六工信号を左折。 真っすぐ進んで突き当りを右折して進む。次の突き当りを 左折。左が坂北駅の道の所を右へ進み(道が狭い)、 そのまま進んで、道なりに左へ進み、すぐ右折すると(かなり大変) 清長寺。(青柳城の見学後なのでこのアクセス。) |
青柳館 | ||
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■清長寺… 天正元年(1573)青柳城主青柳伊勢守頼長が開基。 最初、やや北方の里坊の地に、父清長の菩提を弔う為に 創立した。後に小笠原氏が青柳氏を滅亡させた後、 居館跡の現在地に移して整備したといわれている。 近江守清長が中興した碩水寺の末寺で曹洞宗の古刹。 寺裏の墓地には、清長・頼長の奥方の墓がある。 清長・頼長父子の墓は、本寺碩水寺裏の墓地の最上段にある。 (筑北村の案内板より) |
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侍屋敷跡 | 青柳学校跡 | 清長寺 |
(左)侍屋敷跡の碑。 (真ん中)1番上の写真でも写っている学校跡の標柱。 (右)お寺じゃないのかと思った(^^;) | ||
切通し | |
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善光寺街道随一の名所。
天正8年(1580)に、青柳伊勢守頼長により
切り開かれた。元禄11年(1698)には
「長さ十三間五尺、横八尺五寸、高一丈」と記され、
その後享保元年(1716)、明和6年(1769)、文化6年
(1809)と3回にわたって切り下げが行われた。
右側の岩上方には普請記録と馬頭観音が刻まれている。
周辺には百体観音が安置されていた。
この先には小切通しがある。
二つの切通しの開通により通行が容易になり、
「善光寺道名所図会」には「是に依て旅人并(とも)に牛馬の
往来聊(いささか)も煩はしき事なく野を越え山を越して
麻績(おみ)宿に到る」と記されている。
現在の大きさは長さ27m、巾3.3m、高さ6m。
(筑北村の案内板より)
(下2枚)青柳宿側&反対側から。石仏が凄かった(^^;) (右)切通し見学者用の駐車場から青柳城を。 真ん中の左寄りに、ピコッと木が1本見えている山(^^) |
■青柳館
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