長野県 大倉崎館 |
■大倉崎館(別名=上野の館)=見学自由 駐車場=駐車スペースあり (2009.9.20現在) ←常盤大橋を渡って遠景を。 |
住所=飯山市常盤 この時は、国道117号を北上し、 県道419号との信号を過ぎて、少し先の 常盤大橋の手前が大倉崎館で、 左側に駐車スペースがあった。 |
大倉崎館 | ||
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上野の館跡は、大倉崎館跡とも呼ばれる中世(鎌倉〜室町時代)の
豪族が居住した館跡である。千曲川に接した要害の地に築城し、
中世の争乱期における地方豪族の居城としては、典型的な様相を
示している。館は、東を千曲川の断崖に接し、北・西・南を、
幅10m、深さ5m以上の壮大な堀で囲んでいる。堀の長さは、
北辺が34m、西辺が104m、南辺が42mある。
昭和63年(1988)常盤大橋が館の中央に建設される事から
発掘調査が行われた。その結果、中国から輸入された白磁・
青磁、能登半島で焼かれた珠洲焼、越前焼、美濃・瀬戸焼などの
焼物の他、中国銭、鎧の一部の小札(こざね)・釘などの
鉄製品、茶臼・硯など貴重な品が多く発見された。
これらのことから、14〜15世紀頃、当地には有力な豪族
(武将)が居城していたと思われる。
館主については、竹内源内という言い伝えもあるが、今のところ
はっきりしたことはわかっていない。なお、現在は南北に二分されて
いるが、土塁や堀などは現在でも良く残っており、当時の面影を
今に伝えている。(教育委員会の案内板より)
■上野の城崖と通船引き上げ道… この千曲川に面した断崖には、外堀を巡らした15世紀頃の 豪族の館跡(東西35m・南北100m)があるので「上野の城崖」と 呼ばれている。「上野の城崖」は、水面からの高さが25mにも 及び川底も深い天険の地である。 鉄道が開通する以前、千曲川は通船の荷物輸送に大きな 役割を果たしたが、この城崖は、越後(新潟県)から 平丸峠などの関田山脈を越えて運ばれてくる、塩・魚などの 海産物を積み込んだ拠点でもあった。 今もこの城崖に残る棚のように続く通路跡は、無風の日に 人力で通船(帆船)を引き上げた往時を偲ばせる貴重な遺構である。 そして水流が渦巻く城崖の淵は、地域の人達の野沢菜や 大根を洗う場として生活に深く結びついていた。 こうしたロマンを秘めた城崖は、千曲川沿線でも特に 風光明媚な場所としても知られている。(案内板より) |
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駐車スペース | 空堀と土塁 | 空堀 |
(左)国道で分断された館跡の北側に駐車して、北側を見学。 (真ん中&右)北側の郭の西側の空堀と土塁。 | ||
空堀から郭へ | 郭跡 | 分断された南側の郭を |
(左)空堀から郭内へ。 (真ん中)郭内にはあずまやがある。 (右)北側から国道を挟んで南側の館跡を。 | ||
常盤大橋 | ||
(左)館跡側から常盤大橋方面。館跡は、
このように国道で南北に分断されている。南側の
見学はせず北側だけ。 (真ん中&右)常盤大橋(千曲川)を挟んで館跡を。 右側に駐車スペースがあって、1番上で使用した写真もここから。 |
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■大倉崎館
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