【上田藩主屋敷】

長野県 上田藩主屋敷 ながのけん うえだはんしゅやしき
■上田藩主屋敷=見学自由
■上田高校
駐車場=上田商工会議所開館の有料駐車場。
                   (2009.9.21現在)
住所=上田市大手1丁目
この時は、国道141号と県道79号との 中央2丁目信号を左折し、S字っぽく なった所の左側の上田商工会議所開館を過ぎてすぐ左側の 有料駐車場を利用し、徒歩で見学。入庫30分以内なら無料だったはず…。

上田藩主屋敷
上田城三の丸内の現上田高校の敷地は、真田氏以降、 仙石氏、松平氏と続いた上田藩主の居館であり、 「御屋形(おやかた)」と呼ばれていた。四囲に堀と土塁を巡らした 陣屋の構えを取っていた。 堀を含めた敷地の広さは、東西が74間3尺(135.5m)、 南北が74間2尺であった。 屋形の基本的な構成は、当初から大きな変化は無かったものと みられるが、松平氏時代の様子のあらましは次のようだった。 屋形は入口側から、御表・勝手・御奥の3つの殿舎群に 分けられていた。御表は、藩主の公的な生活の場で、 大書院・大広間などがあった。勝手は、藩主の居間で 小書院・表居間など、また、御奥には藩主の寝室・ 側室の部屋などがあった。 表門は、藩主松平忠済(ただまさ)時代の 寛政2年(1790)にその前年焼失した居館とともに再建された ものである。前面には、4本の太い角柱が並び、中央間には 大板扉を釣り、左右には潜りの扉が付けられ、後部の控柱は 十六面に削った通し梁でつないでいる。 創建当時の様式がよく保たれており、長野県下最大規模の 薬医門として貴重な存在である。 土塀は江戸時代末期の構築だが、濠と土塁は真田氏時代の面影を 残し、全体として江戸時代の大名屋敷の外廻りを知る良い例である。 但し、土塀の下部と濠の周囲の石積みは、崩落防止の為に 最近施工されたものであり、堀の幅も道路の拡張により狭められて いる。(上田市教育委員会の案内板より)
土橋から水堀
(左)表門前の土橋。 (真ん中)表門を正面に、土橋から左側。 (右)逆の右側の堀を。それにしても、なんとも黄緑色。
表門の東側から北方面
表門側からぐるりと北方面に堀を巡る。土塁も素敵だし、 その中に高校を建てながら保存するのも素敵(^^)
堀の亀達
堀には、たくさんの亀がいて、泳いでいたり甲羅干ししたり。 甲羅干し場を設置してあげている優しさが、素敵。
本陽寺
(左)本陽寺山門。  (真ん中)本陽寺。  (右)移築玄関なんだそう。手前に車がいたから、近付いて(笑) 


■上田藩主屋敷
屋敷跡に高校があって、門が残り、周りに堀が巡る なんて、凄いなぁ…(^^)亀が甲羅干しできるよう、 台が設置されていたり、あたたかい所だった(^^) (写真)上田商工会議所開館の駐車場にとまってた車。 真田幸村と真田十勇士が描かれていた(^^)

【 長野のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る