ながさきけん かまぶたじょう
■釜蓋城=見学自由
■釜蓋城趾展望台
駐車場=無料駐車場
2010/5/2現在
住所=雲仙市千々石(ちぢわ)町小倉名
この時は、国道251号を北上し、参道口信号で県道210号へ右折。
川を渡って少しして左折(1本目だったかな…)。それから左カーブで、次に右折、
そのまま進んで左カーブになって、少し太い道に出たら左折。
少しして右側に、釜蓋展望台の案内があるので、そちらへ。
坂を上がって行くと、トイレのある駐車場に着く。
そこから少し坂、階段を上がって展望台へ。
室町末期乱世の頃、原城構築者有馬貴純の族臣淡路守が主命により半島西口の要地である千々石に来り領した。 そして小倉城山に城を築いた。これが釜蓋城である。 時に永禄12年であった。その後有馬晴信の代に、淡路守の子千々石大和守直員が父の後を継いだ時、 天正5年龍造寺隆信は、数万の兵を以て半島に迫り、一隊の武将は千々石釜蓋城に攻め寄せた。 ・・・(中略)・・・城将大和守は頗る胆力があり、 急を村民に伝えて堅く守り老臣木戸萬九郎と力戦大いに勉めたけれども衆寡適せず、刃折れ矢尽きて自刃した。 時に25歳。「以上千々石町史より」。日本の文化史上忘れてはならない先駆者、 天正遣欧少年使節の1人千々石清左衛門直員は、この釜蓋城主千々石大和守の忘れ形見であり、 天正10年(1583)有馬家の代表として、大村、大友の両大名から選ばれた少年使節とともに万里の波涛を越えて、 ローマ法王に謁見し、8年の歳月をかけて歴史的使命を果たした。(千々石町の案内板より)
【左】愛車♪
【真ん中】野球の練習をしているグラウンドの横を通り…。
【右】遊具のある公園の横を通って…。
【左】ちょっとした石段を上がって展望台へ。
【真ん中】とても気持ちがいい(^^)
【右】正面は橘湾で、長崎市方面。
釜蓋城 2010.5.2記
地図で、橘神社から行けるんだ♪って向かったら、行けない!?・・・・。 通れるんだけど、いきなりは分からなくて(^^;) 帰りに、こうやって通ることができるんだ…って分かったけど、 書くのが難しいので、橘神社の中を通らないアクセスを紹介(^^;) 釜蓋城跡と言っても、「?」状態だったけど、展望台から見る景色が気持ちが良かった〜♪ 帰り際、野球の練習中のグラウンド横を通ると、監督が厳しい言葉を掛けていた。頑張れ(^w^)!!