トロとまったり・tripのページ(守山城)

長崎県 守山城

ながさきけん もりやまじょう

■守山城=見学自由
■守山城址公園
駐車場=駐車スペース

2010/5/2現在

住所=雲仙市吾妻町古城名
この時は、国道251号を西へ(諫早市方面)進み、守山城址公園入口の案内に従って左折。 道なりに進んで、大福寺の前を通り、その先を左折。左側に赤い鳥居がある所が城跡。

守山城

守山城は、室町時代初期頃(1400年頃)在地の土豪守山氏によって築城され、代々城主は宮内(くない)と称し、その居城であった。 守山氏は、早くから肥前の雄、有馬氏の外城を守る重臣として活躍し戦功をたてているが、 諫早の西郷氏や神代(こうじろ)氏と行動を共にすることも多く、有馬氏に叛旗を翻す事もあった。 特に、佐賀の龍造寺が勢力を拡大し、島原半島に進攻するや神代氏等と共に龍造寺の軍門に降った。 沖田畷(おきたなわて…島原)に於いて、龍造寺が島津・有馬の連合軍に敗れてから、 暫くの間、守山城は島津軍に接収され、その前進基地として島津の猛将達が加番した。 天正15年(1587)、豊臣秀吉の島津征伐によって再び守山氏の居城となったが、 天正17年頃、神代氏と共に有馬軍の謀略により夜襲を受け、この城で一族郎党共に全滅し、廃城となった。 また、当城は切り通しの古城とも呼ばれ、高地の中央を掘り起こして本丸と二の丸を吊橋で結んでおり、庄の台地には出城としての向城があった。 (吾妻町教育委員会の案内板より)

駐車スペース
城址下の案内板
本丸・低い所

【左】ここが駐車場なのかは「?」。
【真ん中】上がり口より少し先に案内板が。
【右】1番上の写真の低い所。

本丸・高い所
守山一族終焉之碑
土塁

【左】1番上の写真の高い所。
【真ん中】奥には終焉の碑や五輪塔が。
【右】碑の背後の土塁。

景色&水飲み場

【左】(パノラマっぽく加工)どんどん曇って、雨が!急いで車へ戻った(^^;)
【右】蛙がうがい。枠のポイントが可愛い♪

守山城 2010.5.2記

最初、城址公園の案内板を見落としてしまい、迷ってしまったけど、実は簡単だったという…(^^;) 守山氏にとっての重要な地だと思うと、本丸だけでも残ってるのは凄いなぁ(^w^)

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