奈良県 平城宮 |
■平城宮 ■遺構展示館(無料駐車場あり) ■平城宮跡資料館(無料駐車場あり) (※休館中。2010年4月開館予定。) ■朱雀門(無料駐車場あり) (2009.8.1現在) |
住所=奈良市二条町 (この時は)遺構展示館へは、平城宮跡の北側の 県道104号沿いにあって、駐車場もあり。 平城宮跡資料館へは、県道104号を西へ進み、二条町信号で 県道52号へ。少し南下して左側に駐車場への 入口があった。朱雀門へは、県道52号を南下して、 二条大路南5丁目信号で、県道1号へ左折。 朱雀門前の信号付近から、左側に駐車場への道がある。 |
平城宮 | ||
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和銅3年(710)、飛鳥に近い藤原京から、奈良盆地北部のこの地に 都が移された。大路小路が碁盤目状に通る平城京の人口は、 10万人とも20万人ともいわれている。 平城京の中央北端に位置する平城宮は、南北約1km、東西約1.3km の大きさで、天皇の住まいである内裏、政治や儀式を執り行う 宮殿、様々な役所、宴会の場となる庭園などが設けられていた。 しかし、都は延暦3年(784)に長岡京へ、更にその10年後には 平安京へと移り、平城京も宮も次第に土の中に埋もれていった。 現在、平城宮跡は国の特別史跡として大切に保存され、 奈良国立文化財研究所が発掘調査を続けている。これまでの 調査の結果、平城宮は四角形ではなく東側に張り出し部を ともなっていたことや、政治の中心施設である大極殿と 朝堂院の区画が東西2ヶ所あったことなどが明らかになっている。 こうした成果に基づき、遺跡の復元・表示を行っている。 (案内板より・絵図も) |
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朱雀門 | ||
平城宮の正門。 (左)朱雀大路。幅も距離もある!奥には、線路と第一次大極殿が。 (真ん中&右)表&裏。でかい! | ||
(左)朱雀門の目印。こちらは、バスの駐車場らしい。
この日は普通車もとめてたけど、手前(西側)の道からみたい。 (真ん中)朱雀門を通り抜けて、第一次朝堂院跡を。 (右)朱雀門と宮内省。朱雀門は1番左端。見えないかな(笑) |
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宮内省 | ||
内裏東側のこの一画で見つかった建物群は、 天皇家の為の仕事をする宮内省関係の役所と みられている。築地塀(ついじべい)で囲まれた東西約50m、 南北約90mの区画の中には、瓦葺の正殿を中心に 檜皮葺(ひわだぶき)の脇殿や倉庫など6棟の建物があった。 ここでは、発掘調査の成果をもとに、 現在残っている奈良時代の建物の姿かたちを参考に、 門、築地塀、建物を復元している。 復元にあたっては、できるだけ当時の工法を用いた。 (案内板より・絵図も) | ||
内裏と井戸 | 第二次大極殿 | |
■内裏と井戸… 内裏は、天皇が日常的に生活を送り、政治や儀式を行う所。 時には貴族を招き入れて、宴会を開くこともあった。また、内裏の 中には、女官達の役所もあった。ここ内裏東端部で見つかった井戸は 直径1.7mの杉の木をくり抜いた井筒をすえ、 周りに切石や玉石を敷き詰めた 立派なもので、天皇のために用いられた。 この実物大模型は、本物の井戸を土で 覆った上に、新しい材料を使って再現したものである。 (案内板より・絵図も) | ||
後殿跡 | 第一次大極殿 | 平城宮跡資料館 |
(左)第一次大極殿が、復元工事中。2010年に完成予定。 (右)この時は、リニューアル中で休館だった…。 | ||
■平城宮跡
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