新潟県 琵琶島城 |
■琵琶島城 ■柏崎総合高等学校 駐車場=高校内の城址碑前にあり(2010.7.29現在) |
住所=柏崎市元城町1-1 この時は、上越市から柏崎市方面へ、 国道8号を走り、枇杷島信号で国道353号へ右折。 少し先に右側に柏崎総合高等学校がある。 |
琵琶島城 | |
---|---|
鵜川は、昭和30年代の河川改修の実施までは、
この辺りでは大きく蛇行を繰り返していた。
横山川等の支流の合流点でもあり、周辺の水田も
土地改良前には大変な深田であった。琵琶島城は、
これらの地形を上手く活かして築かれた平城である。
琵琶島城の本丸跡は、江戸時代の記録(白河風土記)に
東西四十間、南北六十間とあり、ここに農業高校(現在は柏崎総合高校)が
建設されるまで、周囲を囲う高さ2〜3m・基底部
4〜5mほどの大土塁、東に大手・西に搦手の虎口などの
遺構も残っていた。地元では、この本丸を勝島と呼び、
二の丸を福島、金曲輪(三の丸)を琵琶島と伝えている。
城主については、江戸時代に宇佐美定祐が書いた「越後軍記」
等の軍記物によって、「宇佐美駿河守定満であり、上杉謙信の
軍師」とする説が広く喧伝されている。
ここに城が築かれた起源は不明だが、中世越後有数の港湾
「柏崎湊」と「柏崎町」の支配と防衛のために、上杉−長尾家の
直領として、その一族や重臣が城主として派遣されていたと考えられる。
資料で確かめられる城主としては、永禄〜天正初年(1558〜1573)は
「琵琶嶋殿(越後侍衆等祝儀太刀次第写)」、能登出身の「琵琶嶋弥七郎
(越国諸士)」の名が見え、天正12年(1584)には、御館の乱の恩賞として
「桐沢但馬守具繁」が就任している。なお、江戸時代に当城は廃され、その後
その機能は大久保などの陣屋に移った。(案内板より)
(左上)この奥に、標柱と城址碑。 (左下)鵜川。 (下2枚)鵜川越しに遠景。 |
■琵琶島城
|
【 新潟のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |