【御館(直江館)】

新潟県 御館 にいがたけん おたて
■御館(直江館)=見学自由
■お船の方生誕御館跡
■光西寺
駐車場=無料駐車場      (2010.7.30現在)
住所=長岡市与板町本与板
この時は、アクセスをメモらず。 確か、光西寺を目指した。 御館跡(お船の方生誕御館跡だったかな?) の案内が出ていたと思うんだけど(^^;)

御館(直江館)
直江氏3代の館跡。 本与板城主直江実綱は謙信の父、長尾為景の代からの 家臣で、戦国武将としての器量に欠ける兄晴景を廃して、 謙信の家督相続を実現させた股肱の重臣である。 越後国本与板城を領し、始め与兵衛尉実綱を名乗ったが、 謙信より景虎の一字を与えられて大和守景綱と改めた。 その景綱の晩年に1人娘として弘治3年に生まれた。 当時与板の交通は信濃川の河船の時代にて、 お船と名付けられたとのこと(定かではない)。 上野国総社長尾家より、信綱が直江家の養子として迎えられ、 お船と結婚し本与板城を継ぐ。 謙信の後継ぎ争い(御館の乱)が起き、春日山城にて 重臣であった信綱が刃傷沙汰に巻き込まれ、天正9年死亡。 越後の名家直江家断絶を惜しんで、景勝は信綱の未亡人 お船に、樋口与六(兼続)との結婚を命ずる。 以来兼続とお船の仲睦まじく、宰相の妻たるに ふさわしい良妻賢母で、兼続の意向を充分にくみ、 常に兼続を陰で支えていた。 また、景勝の信頼も厚く、上杉家の奥向きの采配も 任されるほど藩政の一部にも参与されたと伝われている。 また、景勝の後継ぎ定勝の養育は全てお船の方に任せられ、 後に定勝は、お船の方に扶助料3千石を与え優遇した。 (本与板町内会・本与板城址史跡保存会の案内板より)
(左)お船の方生誕御館跡の碑。 (右)左上が本与板城で、真ん中の黄色い部分が御館。

■御館(直江館)
さすが城下町だけあって、道が狭い(^^;) ちなみに、1番上の写真の小さな碑は、御館。

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