【水原城・水原代官所】

新潟県 水原城 にいがたけん すいばらじょう
■水原城・水原代官所=300円
■水原ふるさと農業歴史資料館
開館時間=4月〜11月(9時半〜16時)
      =12月〜3月(10時〜16時)
休館日=月曜(祝日の場合翌日)年末年始
駐車場=無料駐車場       (2010.7.31現在)
住所=阿賀野市外城町10番5号
この時は、磐越自動車道 安田I.C方面から だったので、国道49号を北上し、県道271号へ右折。 白鳥の瓢湖方面へ進むと、左側に水原代官所がある。 駐車場は、代官所を通り過ぎて、左側にある。

水原城・水原代官所
文和元年、大見伊勢守盛家軍功により、 足利尊氏から越後国蒲原郡水原郷采地2万石を 賜わり、此処に城館を築き、姓を水原氏と 改め、子孫繁栄して世々地方豪族の中核的 存在であった。 慶長3年、水原常陸介親憲、上杉景勝に従って 会津に移るまで、246年間水原氏の居城であった。 (碑文より)
江戸幕府は、直轄領地(通称では天領という)に代官所を 設けて直接支配し、財政の基盤となる年貢収入を確保した。 水原代官所も地方に置かれた代官所の1つで、下越地方を 中心とした、新田開発の促進、豊かな年貢米の確保、 近接する藩の監視・情報収集などの目的で、 延享3年(1746)に設けられた。 支配高は時代のよって増減があるが、5万石前後から 7万石、多い時には10万石にも及び、専任の代官は 22代を数え、慶応4年(1868)に会津藩預かりとなるまで、 約120年間続いた。その後、明治期には敷地内に 水原尋常小学校がおかれ、水原における教育の要としての 役割を果たした。平成5年、代官所平面図を基に復元が 計画され、平成7年に完成したものである。 (阿賀野市の説明板より)
駐車場 水原城主・水原常陸介親憲 入口
(左)水原代官所の東側にある。 (真ん中)瓢箪に、上杉の誇る猛将13人衆の1人が。 (右)代官所の受付と販売所へ。
表門
(上)開門中の表門と石碑「水原城館、水原代官所跡」。 (下)開館時間外は閉門(^^;)右下は、石碑横の碑文。
水原代官所
(左&真ん中)大玄関側を角度を変えて♪ 角度が変わると雰囲気も変わる。 (右)東側。観光案内所側から。
大玄関
(左)左端から白洲や訴所が配置。白洲には、取調べに使われる 道具が…。(真ん中)庶民はくぐれない大玄関。
大瓶 出入口 ようこそ!
大きなカメを横目に、「ここかな?」なんて、 地味な出入口から代官所の中へ。 勤勉そうな子が出迎えてくれる(^^)
室内
(左)年貢に関する事等の執務をする御用場。 (右)中庭。ここに、雪を落としていたらしい。 あ、背中が見える(^w^)
水原常陸介の碑 冠木門
(左)一瞬、お墓かと…(^^;)  (真ん中)東側の冠木門(写真真ん中。左は大玄関、右は表門。)。  (右)西側。

■水原城・水原代官所
開館前に到着してしまって、閉門されている表門。 メインの代官所は見えなくて(^^;) 次へ行こうかなぁ…なんて思ったけれど、 数分で開館だったので、待つ事に。 見学は、サクサク短時間で済ませばいいか…なんて。 でも、凄く詳しくガイドをして頂いたので、 短時間どころではなくなり、代官所を満喫したんだけど(^^) いやはや、さすが新潟、米どころ! 昔もお米が凄かったんだなぁ〜! ちなみに、約1時間も費やしてしまった。

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